海の漢は最後に海に還ったのかしら?

マーティン・イーデン』読了。

前半は、荒くれの海の漢マーティンがひょんなことからブルジョア階級のお嬢様ルースと知り合い、その生活、上品さに憧れ、なんとか彼女にふさわしい男になろうと自分を磨く奮闘物語、上昇物語です。そして、もともと才能があったのでしょう、マーティンは海綿が水を吸い込むように新しい知識をどんどん吸収していきます。

図書館にまで通って本を読み漁り、自分でも文章を書くようになります。それを雑誌社へ送っても送っても採用にはならず、悪態をつきながら借金をしてでも文章を書きつづけます。そんなマーティンに対してはルースは知らないうちに愛情を抱くようになり、マーティンにきちんとした仕事に就くように勧めます。しかし、型にはまった生活のできないマーティンは、自分の書いたものはいつか売れると信じており、そのうちきっと文筆業で食べていけるようになると自信満々で就職などしようとしません。

半ばは、身分違い、階層違いとはわかっていながら、マーティンがしっかりとした仕事にさえ就けば結婚できると信じて、そうさせようとするルースと、あくまで筆一本で食べていこうとするマーティンとのすれ違いが描かれます。そして破局。結局ルースはマーティンのことを信じ切ることができなかったわけです。

さて後半。

書いた物がさっぱり売れずに野垂れ死ぬような惨めなマーティンが描かれるのか、はたまた文章が当たって富と名声を手に入れるマーティンの成功譚なのか。ジャック・ロンドンの自伝的な作品と言われる本書ですから、作家としては成功するストーリーが予想され、実際にこれまで書いたものが次々と出版され、途方もない大金が手に入ります。これまでマーティンに辛く当たってきた周囲の人間たちも掌を返したような態度です。

ここまではありがちな流れです。となると、最後はルースも戻ってきて、ハッピーエンドな大団円になるとかと言えば、そうではありませんでした。

書いて物が売れるようになった頃からマーティンは、最初は歯牙にも掛けなかったのに、ひとたびヒットするやどんな作品でも高値で買いたいと言ってくる出版社に対して完全に気持ちが冷めてしまいます。出版社や周囲の人間がよいと言ってくれる作品は今の自分が書いたものではない、すべて自分がどん底にいた時に書いたものだ、その当時と今と自分は何も変わっていないのに、当時は評価されず今になって評価されるのはどうしてだ、という懐疑がマーティンの心を占めているのです。

掌を返した連中の中にはもちろんルースもいます。しかし、その時のマーティンには、あれほど恋い焦がれたルースへの愛情は全く残っておらず、彼女が縒りを戻そうとするのを拒否します。

このあたりの成りゆきはカッコいいなあと思いつつ、さあマーティン、ではこれからどうするの、という疑問もあります。手に入れた大金で南太平洋の島に土地を買ってのんびり暮らす、という願望のような夢のようなことをマーティンは考え始め、ひとまず南太平洋へ向かう船の切符を買います。ここでもマーティンは船長の隣の席で食事をするという好待遇を受けるものの、その状況に違和感を感じています。

そしてある晩、太平洋のど真ん中で、一人こっそりと船の窓から外へ出て、海へ飛び込みます。もちろん誰もそんなことには気づかず、船は進んで行ってしまいます。

半ば以降、この小説はハッピーエンドではなく、バッドエンドで終わるだろうなあと予想していましたが、まさかこんな最後とは。太平洋の波間にプカプカと浮いているマーティンがその後どうなったのかは描かれていません。

そのまま力尽きて死んだのか、他の船に救助されたのか、あるいはサメに襲われてしまったのか。本作の描き方を見ていると、船に乗り込んだ時点で、既に生きた人間としてのマーティンは船に乗り込んでいなかったのではないか、という気がします。ではマーティンはどこへ行ったのか?

成功によって得られた大金を言われるままに周囲の人に分け与えた時に、その大金の中に思い出として残ったのではないかな、特に親切にしてくれた人の心の中に、そんな風に思えます。マーティンにとって成功とは何だったのか、彼は満足して船から下りたのでしょうか?