一つ一つ丁寧に作ることが肝要?

昨日の朝日新聞夕刊に「本が売れない」という記事が大きく出ていることをお伝えしましたが、実は前号の「週刊新潮」にこんな記事が載っていたのです。

ロベルト・ボラーニョの遺作『2666』が版を重ねて10刷となったのです。現在本体価格は7000円です。記事中にもあるように、二段組みの巨冊、判型も通常単行本より大きなA5判です。もちろん重量は1キロを超えています、たぶん。

そんな本が、一回の重版の数こそ多くはないもののコツコツと売り上げを積み重ね、とうとう10刷に到達したのです。

なぜ売れているのか、「売れた」かではなく「売れている」というところが肝心なのですが、それにはさまざまな理由があると思います。個人的には数年前のピケティと同じで、一種のブームになったというのが大きかったと思います。

「ガイブン好きなら読んでおかないと」という空気感が存在していると思います。書店員さんに聞くと、自分で読むために買う人がほとんどですが、中にはプレゼントとして買う人もいるのだとか。人に本を贈るというのは、特に大人になると難しいものですが、この本に関しては「贈って間違いない」と思われているようです。

記事の冒頭にコアな海外文学ファンは3000人とあります。「コア」というのがどのくらいを指すのかは難しいところですが、あたし個人の肌感覚では、「多少高くてもこの作家の、あるいは訳者のものだったらほぼ買ってくれる」読者は1000人から1200人くらいだと感じています。そして2000円台後半の海外文学の主戦場だと手に取ってくれる読者の数というのが3000人弱ではないかと……

いま安易に価格で分けてしまいましたが、『2666』を見てもわかるように、海外文学の場合、時に価格は関係ないことがあります。どんなに価格を安く抑えても売れないものは売れないことはしょっちゅうありますし、高くても驚くほど売れるものが多々あります。

翻訳権料があるので、「ガイブンは高い」という現実がガイブンファンの間では常識化してしまっているので、主に日本の作家の本を読んでいる人からすると本の値段に対する感覚が麻痺しているところはあると思います。ただ、やはり値段だけのことはあると思えるのも事実です。

分厚くて、文字がいっぱいで、だから読み通すのに時間がかかる本も多いですが、見方を変えると「この値段でこれだけの時間楽しめる!」と考えること可能ですし、現にあたしはそう思っています。この楽しさ多くの方に届けられればもっと、更に売れるのでしょうけど。

それにしても、全国的な週刊誌の記事として、たかが一冊の海外文学の重版がこれほど大きく取り上げてもらえるとは、もったいないです。そう言えば、以前、豊崎由美さんがどこかで、日本における海外文学の通史のようなものが書かれるとしたら『2666』の出版は必ず取り上げるべき事件だ、というようなことを書いてくれているのを読んだことがあります。

やはり、事件だったのでしょうか? とはいえ、10刷では日本人の1%はおろか、0.1%にも満たない数です。もっともっとアピールしないと。