今日は重陽の節句ですが、あたしの父の命日でもあります。
というようなことは、毎年ではないですが、このダイアリーでも既に何回か言及しています。
そして、これも言及した記憶がありますが、父方の祖母の命日でもあります。つまり、あたしの父親は母親と同じ日に死んだわけです。もちろん数十年の歳を隔ててですが。
父が亡くなったのが平成8年、今から22年前です。
父は、その少し前から市内の、老人用病院というのでしょうか、こういう言い方はなんですが、もうあとはいつ死んでもおかしくないような、そういう老人ばかりが入院している病院に入院していました。
22年前の今日は月曜日で、あたしはいつもどおり出社して、さあまた一週間が始まるという時に自宅の母から電話がかかってきたのです。9時を回るか回らないか、そんな時間だったと思います。
病院から電話があり、危篤状態だと言われたようで、自分もこれから病院に向かうからお前もすぐに帰ってきて病院へ来るように、とのことでした。取るものも取りあえず、仕事もすべてそのままに帰宅して病院へ向かったのですが、あたしが到着の一時間くらい前に父は臨終を迎えていました。母が病院に着いた時には既に昏睡状態というのでしょうか、酸素マスクをしていて全く無反応だったようです。
こういう言い方は決して病院を非難しているわけではありませんが、とにかく家族が一人でも来たら、家族の見ているところで「ご臨終です」と言えば格好が付くから、それまでは無駄だとわかっていても酸素マスクをはめて、何かしら処置をしているふりをしていよう、そんな印象でした。
前の日曜日には病院へ見舞いに行って父と少ないながらも言葉を交わしていたので、こうも急変するとは思いもしませんでしたが、自宅介護や短期の入退院を繰り返すこと5年ほど。母もあたしも体力的にも経済的にも限界に来ていましたので、寂しい、悲しいという気持ちはもちろん生まれましたが、ホッとしたというのも正直なところです。
すぐに葬儀社に連絡し、菩提寺に葬儀の手配を頼みましたが、人って意外としょっちゅう亡くなっているのか、すぐには葬儀が開けず、水曜日が通夜、木曜日が葬儀という段取りになり、金曜日も役所や銀行へ諸手続きをするために走り回り、その週はまるまる仕事を休んでしまいました。
毎年、今日が巡ってくるとそんなことが思い出されます。
しかし、もうあれから22年。昨日、青山にある菩提寺で二十三回忌の法要を済ませました。沼津から妹家族も来て、家族だけのささやかなものでしたが……