地下鉄サリン事件と中国語辞典

昨日は西日本を中心とした大雨とオウム事件の被告たちへの死刑執行とで、ほぼ一日中テレビはそればっかりになっていたようです。仕事から帰宅したら母が言っていました。

考えてみますと、地下鉄サリン事件を中心としたオウム事件を報じているテレビの若いアナウンサーなどは、そもそもこの事件をどのくらい覚えているのでしょう? まだ物心のついていないころの事件ですよね。そう考えると月日の経つのは早いものです。

サリン事件の時、あたしは既に社会人でした。当時は編集部に所属して『中国語辞典』の編集を担当していました。

サリン事件は平成7年、つまり1995年の3月でしたが、その年は年明け早々に阪神・淡路大震災が起きた年でもありました。震災の時は、辞典の編者の方々がほぼ全員関西在住でしたので、その安否がかなり不安だった記憶があります。そしてその一週間後に大阪へ出張へ行ったのも、今にして思うと「よく行ったな」という思いがあります。

その頃は、ほぼ毎月大阪へ出張へ行っていたので、その後も2月にも行き、3月にも大阪へ行きました。その3月の大阪出張の当日がサリン事件でした。

新幹線車内の電光掲示板ニュースでは、東京の地下鉄で異臭騒ぎという程度の内容であたしもそれほど気にせず、深刻にもならず、いつものような呑気な大阪出張でした。

が、訪問先である、中国語辞典の主編者・伊地智善継先生のお宅へ到着すると、開口一番、伊地智先生の奥様が「東京は大丈夫? よく来られたわね」とおっしゃるではないですか。あたしは何のことかわからず、「えっ、何かあったのですか?」と問うと、「東京が大変なことになってるのよ」とのこと。先生のお宅へ着いたのはお昼頃でしたから、先生もあたしがこの騒ぎに巻き込まれているのではないかと心配してくださったようです。

そして先生ご夫妻と共に、とにかくお宅でテレビにかじりつきました。あたしは中央線で通勤していて地下鉄は使っていませんでしたので、ほぼ同じような時間帯に電車には乗っていましたが幸いにも何の被害も受けませんでした。それどころか、あたしと同じ時間帯の中央線に乗っていた人はしばらくはこの事件のことなど知らずにいたのではないでしょうか? あたしのように一人新幹線に乗り込んでしまったらなおさらです。

というわけで、オウムの地下鉄サリン事件と聞くと、あたしは中国語辞典と伊地智先生を思い出してしまうのです。

中国語辞典と言えば、昨日の勤務先でたまたまあたしが取った電話、中国語辞典を愛用してくださっている読者の方からの電話でした。久しぶりに手元に辞典を用意して電話に答えた後、なんとなく辞典の「まえがき」を読み直したら、不覚にも泣きそうになってしまいました。この「まえがき」を執筆してくださった中川正之先生から最初にこの原稿を受け取った時も涙が止まらなかったのですが、十数年も経ってまだ涙がこぼれるとは、あたしも年をとって涙もろくなったものですね。