角川文庫の『そうだ、やっぱり愛なんだ』を読みました。最初は、いくつになっても人を好きにならずにはいられない的なエッセイかと思ったのですが、副題に「50歳からの幸福論」あるように、この「愛」って家族愛とか、そういった心の充実のことを言っているのです。
さて、柴門流の幸福とは如何なものか?
確かに、ものすごい贅沢ではなく、日常生活にあるささやかな幸せ、といったものを言っているようなのですが、あたしなどから見れば、やはりそれなりに経済的な裏付けがあるからこそ出来るようなことばかりです。
友達と美術鑑賞やお食事、小旅行、どれもお金がかかります。先立つものがなければ実行に移せません。最終的にいまの柴門さんは犬に熱を上げているようですが、犬を飼うのも(もちろん買うのも)お金のかかることです。やはり貧乏人には縁のない幸せです。
私が五十歳になった時まず思ったことは、
「もう、子供のことは放っておいていいだろう」
だ。(P.189)
とあります。あたしの場合、五十歳になって思ったことは
「もう、子供のことは諦めよう」
でした。いや、その前に
「結婚を諦めよう」
であり、
「彼女を作ることすら諦めるべきだろう」
ということでした。
柴門さんのような、それなりのセレブに書かれると、自分の惨めさ、経済的な不如意がますますイヤになってきます。