横山光輝『三国志』のこと

この数年、ゲームの影響なんでしょうね、戦国武将をはじめとした歴史上々の人物たちが、アニメキャラ風に描かれた書籍を見かけるようになりました。

ああいうの、どうも好きではありません。残っている肖像画がどれだけ本人に似ているのかはわかりませんが、少なくともアニメキャラ風のイラストのようなスタイルでなかったことだけは確かです。あんな目鼻立ちの日本人は戦国時代にはいなかったはずだとツッコミを入れてみたところで蟷螂の斧、詮無いことなのでしょう。

また、近代の文豪も、肖像写真が残っているにもかかわらず、どう見たって本人とは思えないようなイラストがカバーに描かれた文庫なども増えています。本当の顔がわからない歴史上の人物ならともかく、ほぼ容姿が判明している近代の人までこんな風になってしまうとは……

個人的にはとても嫌いですし、そんなカバーが掛けられているだけでその本を買う気が失せます。

が、それはあくまであたしの個人的な感想であって、書店の人に話を聞くと、やはりそういう親しみの湧くイラストがカバーになっているモノの方がよく売れるのだそうです。確かに、芥川龍之介の文庫本を買おうというときに、若い子であればカッコいいイケメンのイラストの本をチョイスするだろうことは火を見るより明らかです。

こんなんでいいのか? と嘆くのは年をとった証拠なのかな、と思いつつ、ふと思ったのです。横山光輝『三国志』が出たときはどうだったのかと?

別に『三国志』でなくても構いません。確かに横山光輝には『水滸伝』もありましたよね。そういった作品が世に発表されたとき、以前からの中国文学ファンはどう感じたのだろうかと思うのです。

今でこそ、横山作品は評価されていると思いますし、もちろんゲームキャラ、アニメキャラ的なタッチのイラストではありません。とはいえ、それは現在から見てのお話。あれらが発表された当時としてみれば、時代考証も何もかも無視した、カッコイイ登場人物の造形に多くの人は嫌悪感を示したのではないだろうか、と思うのです。

しかし、あの『水滸伝』や『三国志』のお陰で中国にハマった人、好きになった人って多いと思います。そう考えると、やはり中国古典に親しむ人を増やすという意味では正しかったのかなと思います。時代が変わればイラストの雰囲気も変わるはず。あたしの時代には横山光輝だったように、今の時代ならアニメ風、ゲーム風のキャラ、イラストが人の心に届くのでしょう。

なので、最近は書店でその手の本を眺めても以前のような嫌悪感を抱くことは少なくなりました。まだ完全に嫌悪感がなくなったわけではないところが年齢のせいなのかと思います(汗)。