何のために外国語を学ぶのか

外国語の翻訳機の記事がネットにありました。

翻訳機って、つまりは自分の代わりに外国の人と会話してくれる機械ってことですよね? 恐らく現時点では「まだまだ実用としてはちょっと……」というレベルなのかも知れませんが、数年後には十分実用に耐えるレベルにまで進歩すると思います。

さて、こういった翻訳機、見知らぬ外国へ旅したときに、「まあ、英語ならカタコトで喋ることもできるけど、その他の言葉は…」という人には重宝するのでしょう。もちろん英語すらできない人にとっても、ですが。

そうなると、大学などで外国語を学ぶ必要はなくなるのでしょうか? あるいは小学生のころから英語を勉強しようなどという動きも不要になってしまうのでしょうか? これは、語学を柱の一つとしているあたしの勤務先にとっては由々しき問題です。ただ、いくら翻訳機の進歩が速くても、少なくともあたしの定年までは大丈夫だろうと高を括っています(汗)。

で、話は戻って外国語を学ぶ必要性についてです。

本来、外国語って、それを使って外国の人と交流したり、外国の歴史や文化、風物を知ったりするためのものだと思います。文法学者や言語学者を除けば、外国語を学ぶことが目的という人は稀で、ほとんどの人にとっては外国語を学んで、それからどうする、というものだと思います。つまりは目的ではなく手段である、ということです。

翻訳機が使い物になるようになったら、とりあえず外国語を学ばなくても会話はできるようになるでしょう。ただ、会話ができるということが交流なのかというと、完全にイコールではないと思います。外国語を学ぶと日本語とは異なる語順といった文法的な面に関心が向きがちですが、表現の仕方に違いにも興味が生まれるものです。日本語なら細かく分けて表現するものに対して、ある国の言葉はそれらすべてをたった一つの言葉で表現してしまう、といったことなど、関心を持ち出すときりがないほど楽しい差異が見えてきます。

こういうことを知るのが、外国語を学ぶ醍醐味だと思います。そんなところまで翻訳機はカバーしてくれるのか、フォローしてくれるのか? それはちょっと技術の進歩とは別の話でしょうね。