ネタバレ上等

以前にも話題になっていましたが、今朝の朝日新聞にもネタバレサイトの記事が載っていました。

違法な流通業者とか、早売りをしている書店のモラルとか、業界全体の仕組みの問題とか、そういうことはひとまずおいて、あたし的には「ネタバレ」について考えてみたいと思います。

ネタバレって、つまりは先のあらすじを暴露したり、推理小説であれば犯人を教えてしまったり、スポーツなどで言えば試合結果をあらかじめ知らせてしまうようなことですよね? これ、個人的には何が問題なのだろうと思います。

自分の人生の未来ならともかく、小説やコミックのストーリー、試合の結果なんて、自分がどうこうしたところで結末が変わることはありません。もう決まっていること、と言ってもよいかも知れません。そんなことに腹を立ててどうしようというのでしょう?

衛星中継が発達し、早朝などに海外スポーツの中継が入るようになった昨今、学校や職場で朝のニュースで報じられた試合結果を知らされるとムキになって怒る人がいます。帰宅後に録画しておいた試合をじっくり楽しみたいのでしょう。その気持ち、まるっきりわからなくもないのですが、正直に言えば、あたしにはほとんど理解できません。

だって、ムキになろうがなるまいが、試合は既に終わっていて、試合結果もわかっていて、いったん家の外に出ればどこからその情報が入ってくるかわからないのですから、本気で試合結果を知りたくないのであれば、学校にも職場にも出て来ないで、自宅に引き籠もっていればいいと思うのです。それをたまたま耳に入ったくらいでムキになって怒るなんて愚の骨頂、バカ丸出しだと、あたしは思うのです。

かくいうあたし、スポーツの試合結果がわかっていても録画放送を楽しめます。むしろ結果がわかっている方が、特に贔屓のチームが勝ったとわかっているときなどは安心して視聴できるので、ますます見るのが楽しみになります。贔屓チームが負けたのであれば見なければよいのです。結果がわかっていても、見る楽しみが少しも減ることはありません。あたしは、そういう精神構造をしています。だから、ムキになって怒る人の気持ちなど理解できませんし、理解しようとも思いません。

最近、とある小説を読みました。ジャンルで言えば推理ものになるのでしょう。あたしがほとんど読まないジャンルです。

で、読み終わって思いました。推理小説って読んでいけば犯人がわかり、謎が解けるからいいね、というもの。自分で考える必要がありません。読み終わればいいだけですから。

これが、ふだん読んでいるような小説ですと、「この後、主人公はどうなってしまったんだ」とか、「あの件はどうなるの」といった謎が残ったまま終わったり、読者に考えさせるような結末の作品だったり、読み終わってから考えなければならなくなります。こういう作品に比べると、推理小説って楽だなあ、と感じた次第です。