スナックからバーへ、バーからスナックへ

12月に刊行予定の『バー「サンボア」の百年』ですが、書店の方に案内すると、サンボアの名前を知っている方も関西ではちょこちょこいらっしゃいます。そして、その時に引き合いに出されるのが池波正太郎の名前。

堺町通り三条下ルところにあるコーヒー店〔イノダ〕のコーヒーをのまなければ、
「ぼくの一日は始まらない」
という人がいるかとおもうと、
「サンボアで一杯のまぬうちは、おれの一日が終らぬ」
という人もいる。
三条に近い寺町通りの東側の、モルタル造りの小さな民家に〔KYOTO SAMBOA BAR ESTABLISHED 1918〕と記した、淡いブルウの電気看板が軒先へ横たわっているだけの、いかにも誇りにみちた酒場である。
〔サンボア〕は、京都で、もっとも古い酒場の一つであって、立飲台へ出されるウイスキーも、カクテルでさえも、きびきびとした中年の主人の、小柄だが精悍な風貌に似つかわしい、男っぽい味がしてこようというものだ。
店に、女はひとりもいない。
しかし、むかしは男だけのものだったこの店へも、近年は女の客が多くなった。
それでいて、おしゃべりもせずに、女客たちはしずかにのんでいる。これはやはり、この店の男のムードに圧されるのであろう。
たとえば京都へ来て、夕飯を四条通りの万養軒に決めたとすると、そこへ行く道すじに〔サンボア〕があるというのは、うってつけのことなのだ。
〔サンボア〕で、ベルノーの水割りか、ドライ・マティーニのオン・ザ・ロックなどを軽くやってから飯を食べに行き、その帰りにもまた、ちょいと〔サンボア〕へ立ち寄る。
男だけが行く酒場である。
女がのむなら、ちかごろ流行の〔スナック〕とやらがよい。
この店に、女は似合わぬ。
〔サンボア〕も〔イノダ〕と同様に、諸方へ支店が出来たけれども、京都の男たちは、この古びた本店のムードをなつかしがり、やはり、
「サンボアは、本店でなくては……」
と、いう。
この店の先代は、むかし、神戸で洋酒の輸入業をしていたとかで、創業は、看板にもあるように大正七年である。

この引用は、新潮文庫版『散歩のとき何か食べたくなって』の95頁以下の文章です。

 

池波正太郎と聞くと「江戸の食」というイメージが強くて、東京ではなく京都、それも和食ではなくバーにまで通っていたとは、ちょっと驚きですが、それはあたしの知識が少ないからでしょう(汗)。

それにしても、あたしの勤務先から刊行し、現在ヒットしている『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』という本がありますが、この著者であるスナック研究会の面々は、当然、この池波正太郎の言葉を知っていることでしょう。バーに対してスナックをちょっと下に見ている感じを受けますね。実際のところ、世間の目も、バーとスナックではバーの方を格上に見ているものなのでしょうか。酒飲みではないあたしにはよくわかりません。

ただ、もし池波正太郎が存命で、『日本の夜の公共圏』を読んだら、どんな感想を抱くのか、ちょっと聞いてみたいところです。