SF、ミステリー、そして……現実社会

本日午後は下北沢のB&Bで伊格言さんと大森望さんのトークイベント。昨日の黒川さんとのイベントでは、原発事故とか、ノンフィクションとフィクションの間のような内容になっていたと感じましたが、今回は対談相手が大森さんなので、また別な一面が見られました。

訳者・倉本さんによる『グラウンド・ゼロ』全体に対する解説、伊格言さんの創作に関する講演は昨日とほぼ同じ、それを受け、大森さんとのやりとりとなりました。

実在の人を登場させているけれど、それに対する反応は、という質問に馬英九はじめ、ほぼ皆がスルーしたようで、美人と書かれた国会議員だけが自身のラジオ番組に呼んでくれたとのこと。日本では実名を使うと訴訟騒ぎになったりする可能性があると聞くと、台湾でもその可能性はなくはないそうですが、それよりもなかなか本作のように実在の人物を登場させる作品を書く機会もないので、今回はあえてこういう方法を選んだという答え。伊格言さん曰く、本作のように現実との距離が近い作品を「低空飛行(地面飛行)小説」と呼んでいるそうです。

台湾は日本とは違い首都に近いところに原発がある。危険なものを辺鄙なところに作るというのは不公平であり、それは階級的な圧迫にもなるとも述べる伊格言さんに対し、80年代には日本でも「東京に原発を」という議論があったことを大森さんが紹介、それに対し伊格言さんは、台湾は日本よりも小さい国なので、どこに原発を作っても首都や都会に近いところになってしまうとのこと。また電力会社の体質などは日台でよく似ているとも。

福島の事故の衝撃が本作のきっけになったのかという質問には、台湾でも反原発運動は以前からあったけれど、原発は危険という意識は一般の人には共有されてなおらず、福島を機に危険という認識が広く共有され、反原発運動が盛り上がるようになったとのこと。事故の前と後では温度差があるとも。

大森さんから本作について、破滅に向かうサスペンスと事故をめぐるミステリーという非常によくできた構成になっているけれど、こういう構成にしようとしたのは何故かという質問に、以前書いた長篇2作はミステリーっぽいもので、自分は短篇は詩的なものという意識がある、それに対して長篇は長いので、いろいろな要素を取り入れられる、だからいろいろな側面を見せることができる、と考えているそうです。また伊格言さんは謎解きのストーリーが好きで、それは読者をある方向に誘えるからだとか。

作品冒頭に出てくる夢の画像化は、本作の中では数少ないSF的な部分で、SFだと自由に書け、ファンタジーなシーンを作ることができる、と考えているそうです。本作が日本ではSFとは思われないのでは、という大森さんの指摘には、あまりジャンルは気にしていないとのこと。中国語圏のSFの賞を本作で授賞したけれど、実はやや困惑したとも、

本作は反原発派や社会運動の活動家が読んでくれているが、原発指示の人からは批判が来るそうで、そういう人にはちゃんと本書を読んでから批判して欲しいとのこと。

本作は非常にメッセージ性が強い作品だという指摘には、本人はそれほど政治的なメッセージをこめたつもりはないそうですが、安全署長については、よい目的のためなら悪いこともするという、やや複雑な人物を描いたつもりだそうです。

本作がどの程度現実に影響を及ぼしたかはわからないが、反発もそれなりにあったので、一定の影響は与えたのではないかと思っているそうです。小説を読まないような人にも読んでもらえる訴求力はあると思う、とのこと。また福島の事故を経験した日本人にも訴えるところがあると思う、とも。

本作は前半は原発問題を扱い、後半では生活問題を扱っている。原発事故が引き越した、主人公カップルの生活スタイルの差、こういったものをやや極端に描くことで自分に置き換え、自分の生活を振り返るきっかけを与えられるのではないかと思う、とのこと。

以上、記憶違いもあるかと思いますが、あたしのメモを元に。ですので、伊格言さん、大森さんがこの通りのことを主張していたと自信を持って言えるわけではありません。あしからず。