売れない辞書の未来よりも作れない辞書の未来

少し前の朝日新聞に辞書が売れないという小さな記事が載っていました。

とても興味深く読みました。

無料の辞書が増えて、わざわざ本屋さんで紙の辞書を買わなくなっている、それは全くその通りです。単体の電子辞書もスマホの普及とスマホ用アプリの登場で発売当初のような売れ行きはもう見込めなくなっているようです。

とはいえ、子供の教育には紙の辞書を引かせるのがよい、といった意見も根強く、子供用の辞書の売り上げはそれほど減っていないとも聞きますし、実のところ微増だというデータもあるそうです。

しかし、辞書って、一部例外はありますが、手間暇かけて作った割りには値段が安いものです。競合商品がある場合、その価格を意識せざるを得ませんから、どうしても安売り競争とまでは行かなくとも、あまり高い値段は付けられないのが出版社の実情です。

筆者は、紙の辞書はともかく、有料のウェブサイトを軌道に乗せ、辞書を引く喜びを知ってもらおうという趣旨の投稿のようで、それ自体に反論はありませんし、その通りだとも思います。ただ、有料サイトがどこまで軌道に乗るのか、ジャパンナレッジという有料サイトがあり、あたしも個人会員ですが、果たしてこのサイトは採算がとれているのか、詳しいことは知りません。

で、辞書の未来というと、このような出版費、採算、利益といったお金の問題がまずは話題となり、もちろんそれはとても大事なことですから避けて通ることはできませんが、とても大きな壁になっているかのような論調が多い気がします。しかし、出版社で辞書を編んでいた(辞書の編集に携わった)立場から言わせてもらいますと、辞書を作る側の熱量は十分あるのだろうかという気もします。

諸橋轍次の物語ではありませんが、辞書や叢書などの編纂には伝説的な物語がついて回ります。多少の誇張はあるにせよ、それらはどれも真実、事実なのでしょう。なによりも、作り上げようとした情熱に関しては嘘はないはずです。そう、辞書を作るにはお金の問題だけではなく、作る側の気持ちも必要なのです。

仮に資金が潤沢な出版社が制作費を出してくれるとして、辞書って半年や一年で出来上がるものではありません。今の時代、コンピューターを活用するでしょうから、昔のように何十年という編集期間はかからないにせよ、数年の時間を要することはまず間違いないでしょう。あたしが言いたいのは、その数年、出版社の資金は涸れなくとも、著者(編者)の熱意が続くのかということです。

あたしが担当した辞典の編者は、パソコンなどの便利さには十分な理解がありましたが、ご自身で使うということはなかった世代の方です。ですから、毎日毎日、朝から晩まで机の周りにたくさんの辞書や関連書籍を広げ、目の前には赤字だらけのゲラを置き、そこに更に赤字を加えていくという作業を、それこそ黙々と365日、数十年にわたって続けていました。果たして今、それだけの熱量を辞書作りに捧げてくれる方がいるのか……

紙かデジタルかはおくとしても、辞書は作り続けていかなければならないものだと思います。十年後にある出版社が新たな辞書を作ろうとしたときに、費用の工面はたったとしても、作ってくれる、編纂してくれる人が見つかるのかどうか、そこに不安を感じます。そして出版社の側も、辞書を作るというノウハウの継承が行なわれているのだろうか、というところにももっと大きな不安があります。