中国の北と南

中国史では南船北馬という言葉あります。主に移動手段が馬である北方、いわゆる黄河流域を中心とした中原地域と、運河などが発達し、移動手段が舟である淮河以南の南方地域を表わした言葉です。『三国志』なんかで使われていたという記憶がありますが……

とまあ、かように中国の北と南とでは違っていて、その他にもいろいろと異なるところはあるのでしょう。なにせヨーロッパが丸ごと入ってしまうほどの広さ。ヨーロッパであれば、北欧とイタリアやスペインを一緒くたにすることはないでしょうが、なまじ中国という一つの国であるがゆえに、そのあたりの感覚が麻痺してしまうことがままあるものです。

で、話は文学なんですが、最近、といってもこの数年ですが、あたしが読んで中国文学作品、そういった地域の違いが感じられるなあと思わせてくれました。

 

まずは、蘇童の『河・岸』と畢飛宇の『ブラインド・マッサージ』です。蘇童は江蘇省蘇州市、畢飛宇は江蘇省興化市の生まれ、どちらも温暖な南方、そして水に恵まれた地域の作家です。ですから作品も非常にウェットです。この場合のウェットというのは人情に厚いとか、そういった意味ではなく、作品世界に非常に湿度を感じるということです。

まあ『河・岸』なんて、水上生活者が主人公ですし、タイトルも思いっきりウェットですよね。『ブライド・マッサージ』も別に印象的なそういうシーンがあるわけではないのですが、読んでいると雨が降っている南京の町とか、うだるような蒸し暑さが感じられる作品です。この両作品、いかにも南方という感じです。

それに対して『アルグン川の右岸』、閻連科の『年月日』は非常に乾いています。

 

遅子建は黒竜江省、閻連科は河南省出身。どちらも北方ですし、その作品も思いっきり乾いた風を感じます。『アルグン川の右岸』は乾いているというよりも凍てつく感じを受けましたし、『年月日』などは百年に一度の大飢饉ですから水分なんてこれっぽっちもありません。

同じ中国でも、出身が異なるだけでこうも違うものか、と思わずにはいられません。

とはいえ、あたしはこれら作家のすべての作品を読んだわけではありませんので、作家が北方出身だから乾いた作品、南方出身だから湿った作品だと決めつけるのは早計だということは承知しています。ただ、これらの小説の舞台はそれぞれ南方と北方で、南方を舞台にしているから湿った感じ、北方を舞台にしているから乾いた感じ、ということは言えるのではないでしょうか?

こんな風に文学作品を通じて、その国のことを知る、これこそ海外文学を読む醍醐味だと思います。これがあるからこそ海外文学を読むわけですし、行ったこともない国や場所について行ったような気になれる、それが最高の愉しみです。

もちろん、この程度の文学体験で「この国はこういう国だ」と決めつけてはいけないことは重々承知しています。それでも、ある程度の数を読んでいけば、それなりの感覚は生まれてくるはずです。その感覚に違和感を感じるような作品に出逢うのも、また楽しみの一つではないかと思います。

  

さらに『歩道橋の魔術師』や『神秘列車』といった台湾の作品になりますと、大陸とはまた異なる味わい、世界が広がっていますし、香港もまた独特の世界になるのでしょう。南と北という対比でしたが、恐らく西方出身の作家の作品や西部地域が舞台の作品であれば、西の方の味わいを持った作品があるのでしょう。もちろん西へ行けばウイグルとかチベットなど少数民族も住んでいますので、『ハバ犬を育てる話』などのように彼らの世界観に溢れた作品がたくさんあることでしょう。