NHKの「新・映像の世紀」、昨夜はヒトラーだったようです。
「だったようです」と書いたのはあたしが視ていないからです。そもそも9時すぎの番組は、ふだんは寝てしまうので視ていません(汗)。ただ、ヒトラー特集だったので、気にはなっていました。
「時代は独裁者を求めた」ですか……
手前味噌ですが、たぶんあたしの勤務先から出ている『独裁者は30日で生まれた』などが非常に参考になったのではないかと思います。ナチ・ドイツだけではなく、やはり第一次世界大戦、そしてワイマル共和国まで遡ってみないと理解できないのかもしれませんね。
そんな中、いま読んでいる中公新書『ヒトラーに抵抗した人々』にこんな一節がありました。
《クライザウ・サークル》がナチスドイツの対案を考える前提に、ヒトラーを支持する国民の存在がある。
一言でいえば、ナチス期のドイツ国民は人間として大々的に愚かになった。彼らはヒトラーに全権を委ね、ヒトラーは彼らの期待に応えた。自分たちの経済生活が安定しさえすれば、それでよかった。反ユダヤ政策により差別と迫害が激しくなっても、傍観する風潮が一般的になり、さらに迫害に協力し加担する事態となった。(P.172)
この箇所を読んでちょっと愕然としました。穿ちすぎかもしれませんが、この部分のナチスを自民党、ヒトラーを安倍首相、反ユダヤを嫌中嫌韓と読み替えると、なんだか現在の日本に非常に似ている気がします。
結局、些細なことから戦争そして破滅へと進む道が開かれてしまう。だから、たとえ小さくとも声を挙げつづけないとダメなんだ、ということではないでしょうか?