友だちにはなれません

言わずもがな、本日は東日本大震災からちょうど二年目。テレビや新聞では特集報道がなされています。

テレビの特番などすべてを見られるわけではありませんが、あれって基本的には関東キー局が製作しているんですよね? それってどうなんでしょう? そりゃ資金にしろノウハウにしろキー局がリードしないと作れない部分はあると思いますが、なんとなく「東京目線」「第三者目線」の番組になってはいないでしょうか? やはり地元のテレビ局、放送局が作ってこその特番ではないかと、あたしは思うのですが。

さて、その東日本大震災ですが、あたしは実はあまり切実な体験をしていません。別に西日本へ出張とか、海外へ旅行に行っていて揺れを体験していないというわけではありません。ちゃんと関東にいました。ただ、ふだんいる場所とは異なる場所にいたので、どれくらいの揺れだったのかが把握できていないのです。いつもの場所にいてあの揺れを体験すれば「いま暮らしているこの世界が終わる」という感覚を味わえたのかもしれませんが、あいにくと非日常的な場所にいたので、ほとんど揺れの規模がつかめないのです。

あたしの体験については当日のダイアリーに書きましたように、不幸中の幸いという言葉がピッタリ、あえて言えば、悪運が強いという感じで、世間が大騒ぎするのほど地震だったのかという思いが強いです。もちろん、途中の川越駅での混雑などは目撃していますが、あのくらい人身事故が起きればありえる範囲の状況だったと思います。比較的スムーズに帰宅できたので、本当に運がよかったと思います。

だからなのですが、結果的に、東北の被災した人たちの気持ちが、今一つわかりません。哀しみなり、喪失感なりを共有しようにも、そういう感情を持ち得ていないので共有のしようがありません。たぶん、否、きっと、あたしは震災の話を東北の方々としたら、肝心なところでわかり合えないと思います。相手の気持ちを忖度するというのはあたしがもっとも苦手とすることですので、いくら言われても慮ることができません。

つまり、東北の人とは友だちにはなれない、そう思うのです。