東アジア文学はこれを読め![続]

感想は改めて書くと宣言したまま放置プレイなってしまっていましたが……

東アジア文学、具体的には中国・台湾・韓国・チベット文学を今回「読んとも」で取り上げたのは、豊﨑さん自身の興味が最大の理由でしょうが、ここへ来て、これらの文学の翻訳でヒット作、話題作が続けざまに刊行されたという事情もあったと思います。

が、そうやって東アジア文学にスポットが当たるというのは、逆に言えば、これまでどれほど日の目を見なかったかということでもあります。このことは今回の演者の皆さんが口を揃えておっしゃっていたことです。では、なぜに東アジア文学は売れなかったのか。いや、東アジアと限定しなくてもよいです。アジア全般、売れてませんでした。海外文学といえば、まずは英米、その次にヨーロッパ、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアといったところ、そして南米やスペインのラテン文学が主流であり、それ以外の地域の文学は、文芸の棚の中で肩身の狭い海外文学の中でも更に肩身の狭い位置に置かれているのが一般的です。

売れない理由、それは冒頭に豊﨑さんが指摘したように、日本人のアジア諸国に対する蔑視があると思います。これは間違いないでしょう。そもそも海外の作品を読むというのは、その国、そしてその国の文化や生活スタイルに対する憧れがあって、小説の中だけでもそれに浸っているような気分を味わいたい、という気持ちがあるから読むのだと思います。もちろん、そんなオシャレなものではなく、単純にその国に対する興味でも構いませんが、そこにもやはり憧れ、少なくとも敬意は含まれていると思います。

それに対して、敬意や憧れを抱くなんてことはおろか、むしろ見下し、バカにしている国々に興味を持ち、そこの作品を読みたいと思うでしょうか? いや、大東亜共栄圏を標榜していた戦前ならいざしらず、現在の日本人がアジアの国々や人びとをそんなにもバカにしているなんてことはない、と反論する方は多いと思います。もちろん戦前のような見下し方はないでしょうが、欧米とアジアを比べた場合、やはりヨーロッパの方を上に見る日本人はまだまだ多いと思います。

その証拠というつもりはありませんが、中国文学でも史記や三国志などの古典作品は人気があります。それこそ欧米の海外文学など太刀打ちできないほどの数の翻訳書が刊行されています。それは現在の中国ではなく、古代の中国であれば日本人の憧れ、少なくとも尊敬の対象であるからだと思います。昔の中国はすごかったけど、今の中国は……という意識、知らず知らずのうちに多くの日本人に根付いているのではないかと思います。(話は逸れますが、韓流というのも、特殊な現象ですね)

ところで、あたしはアジア文学が売れない理由はもう一つあるのではないかと思います。それは当日登壇された方々には申し訳ありませんが、翻訳者の問題です。別に訳文が悪いとか熟れていないとか、そういうことを言いたいのではありません。そもそも翻訳しようとする作品の選び方に問題があるのではないかと思うのです。

中国や韓国の作品となると、少し前まではどうしても自国の苦難の歴史を描いたものが翻訳されることが多かったように思います。それは翻訳者である研究者の方が、翻訳作品を通じてその国のことを知ってもらいたいという気持ちがあるからだと思います。それはそれで理解できますし、海外文学を読む醍醐味でもあります。

でも、栄光の歴史、輝かしい一大叙事詩なものであれば読んでいて愉しいでしょうが、苦難の歴史では読んで楽しいものでしょうか? それにこれらの国々の歴史とは、つまりは日本によって侵略されていた歴史です。必然的に日本は悪玉として描かれます。そんなものを日本人があえて読みたいと思うでしょうか? あたしは、そういう作品ばかりを選んでいたとは言いませんが、どうしてもそういう作品が多くなっていたことがアジア文学が売れなかった理由だと思います。

しかし、今回のイベントで紹介された作品はどうでしょう? 確かに苦難の歴史を踏まえたものもありますが、そういうしがらみから抜け出して、ごくごく普通の娯楽作品として読める、読んで純粋に面白いと思える、そんな作品が増えてきているのを感じました。たぶん翻訳をする研究者の世代交代が進み、歴史を引きずることなく、愉しく読める作品を紹介しようという気運が盛り上がってきているのではないでしょうか? そんな研究者、翻訳家の方々の数年来の努力、活動がここへ来て花を開かせているのかな、そんな風に感じたトークイベントでした。

うーん、ちょっと生意気なことを書いてしまったでしょうか? すみません。