自虐って何だろう?

今日の朝日新聞夕刊一面に、大阪の平和博物館のリニューアルに伴って戦時中の日本軍による加害行為に関する部分が撤去されたとありました。大阪版では既に報じられていたニュースでしょうか? 東京版では本日の夕刊でした。

加害の行為をどう伝えるか……

その一方、こんなニュースもありました。核拡散防止条約の会議で、日本が提案していた「世界の指導者らの広島、長崎の被爆地訪問」という文言が中国の反対で最終文書の草案から削除されたと。

この手の話題になったときの中国と日本って、なんか、子供のケンカみたいです。

大阪の平和博物館の展示が、戦争の悲惨さばかりを伝えるような展示になっているのは、中国にある抗日記念館の展示が日本軍の残虐行為ばかりを展示しているのと同じくらい歴史の改竄ではないかと思います。どちらも歴史に正しく向き合おうとしていないということでは同じではないでしょうか?

この話題が出るたびに一つ疑問に思うのは、加害行為の展示がなんで自虐になるのでしょう? 昨今の日本では「自虐」という言葉がずいぶんと広い意味で使われてしまっているような印象を受けます。戦争中に残虐な行為をしたことを認めるのが自虐になるのでしょうか? 慰安婦を強制連行したことを認めるのが自虐なのでしょうか? 南京をはじめとした中国大陸で虐殺を行なったことを認めたら自虐なのでしょうか?

あたしには、そうは思えません。戦争においては程度の差こそあれ、どれも起こりうべきことだと思いますし、むしろ起こって当然の行為だと思うからです。もちろん、あたしは起こることがよいことだ、などと主張したいのでは決してありません。あくまで戦争という状況下ではどの時代、どの国でも起こったことであって、日本軍だけが聖人君子の軍隊で、そんなことは微塵もなかったなどというはずはないと、ごくごく常識的に考えてそう思うのです。それを認めるのがなぜ自虐になってしまうのか?

そのあたりの心理がよく理解できません。