グロいのと軽いのが……

日本翻訳大賞を受賞した『エウロペアナ』を読んだとき、次の部分で衝撃を受けました。

グダンスクでは一人のドイツ兵が発狂したという。戦前に付き合っていた女性がユダヤ人であることを知らなかったばかりか、その彼女はアウシュヴィッツの強制収容所へ連行されていたのだ。友人たちは彼をからかおうとして、こう言った。グダンスク解剖学研究所の所長から聞いた話だけど、お前がこの一週間のあいだ体を洗っている石鹸はお前の彼女の死体から作られたものなんだよ、と。その後、兵士はドイツ国内の精神病院に収容された。(P.33)

からかったとありますが、実際にこういう事例はあったのではないでしょうか? この描写の直前にも収容所に送られたユダヤ人がどうなったかについて、かなりグロテスクな描写があります。

しかし、本書での筆者の筆致は実に淡々としています。上掲のような描写も、だからどうなのだ、という感情がほとばしり出るのではなく、ただあったことをそのまま書き連ねているだけのように感じます。

感情を失ってしまったのか、あるいは戦後の平和な時代を生きている自分たちが、ありきたりの感情で描写したとしても所詮あの悲惨さを表現しきれるものではないと諦めているのか。

いや、ここまで来ると悲惨という言葉も何か違うような気がします。むしろ絶望に近いかも知れません。それでもそんな時代をくぐり抜け、いま自分たちは生きている、どうやってあの絶望から立ち直ったのか、本当に立ち直っているのか、そんな問いかけを受けているような気もしました。

そして、こういう目を背けたくなるような描写と隣り合わせで、実にユーモラスな記述が挟み込まれているのが本書の特徴です。この揺れ幅の大きさ、それがそのまま二十世紀という時代の振幅の大きさに当てはまるのではないでしょうか?