袁世凱

岩波新書『袁世凱』読了。

 

以前に、やはり同著者の岩波新書『李鴻章』を読んでいたので、その後を継いだ袁世凱にもたいへん興味があります。著者はこれまでの袁世凱像を改めたいという思いがあるようですが、幸か不幸か、あたし自身はそれほど袁世凱に対して悪い印象を持ってはいませんでした。もちろん康有為らの戊戌の変法を潰し、孫文らの革命の果実を横取りしたといった世間並みの感想がないわけではありませんが、康有為や光緒帝、孫文ら革命派の稚拙さも感じるところであったので、袁世凱の方が彼らより一枚も二枚も上手だったなと思っていました。

さて、本書を読んでそんな袁世凱像が変わったのかと言われると、ちょっと意外な感じがしたのは、もっとギラギラとした権力欲の強い人かと思っていましたが、読んだ限りではそれほどでもなく、決して権謀術数の限りを尽くして政敵を葬ったりといった暗い感じは受けませんでした。とにかく、その時その時で相対的によい選択をしていっただけ、そんな気さえします。

最も肝心な、彼が清朝についてどう思っていたのかとなると、基本は立憲君主制であり、あくまで清朝皇帝を戴いた国家運営を望んでいたのだと思います。溥儀をはじめとした皇族に対してかなりの優待条件を付けたのも、あわよくば復辟も考えていたのかなと個人的には思います。もちろん内憂外患、多難な中国の現状を考えると、なによりも肝心なのは国を滅ぼさないこと、列強の侵略をなんとか最小限でしのぎつつ、その列強の支持を得て国を立て直すのが最大の目標であって、そのために清朝皇帝が使い物になるのか否か、そこを冷静に判断したのではないかと思います。

最終的な疑問である、なんでみずから皇帝になろうとしたのか? これについては著者も書いているように、まだまだ当時の中国では「国の真ん中には皇帝がいる」という意識が抜けきっていない、皇帝が存在しない共和政、民主制というものがどんなものなのか、たぶん袁世凱自身も実感としては感じられていなかったのが大きいのではないかと思いました。

さて、袁世凱、皇帝即位が失敗に終わり失意のうちに逝去、と一般には言われています。確かにそういう「気落ち」はあったのでしょうが、それでもその後の中国で続く混迷を考えると、あまりにも早い人生ではないでしょうか。孫文にもそう感じるのですが、あと10年か15年壮健で活躍していたら、その後の中国はずいぶんと変わったものになっていたのではないかと思います。

 

この続きは、同じく岩波新書の「シリーズ 中国近現代史」などに進んでいただくのがよいかも知れませんが、この後の軍閥混戦のありさまは『覇王と革命 中国軍閥史1915-28』がとてもダイナミックで面白いと思います。

それにしても、あれだけ外国に蹂躙されていても、まだ地域ごとの利権で争っている中国近代。清朝がそもそも地方分権的な政権だったということがあったにしても、もう少しなんとかならなかったのかという気もします。が、それでも決してヨーロッパのような分裂国家には至らず、しっかり中国としてまとまって一つ国家に収斂していくところはすごいと思います。

2015年3月14日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー