呪いのEメール

先に書いた「MS Pゴシックの呪い?」で思い出したことがありました。

もう何年も前のことですが、あるPC雑誌を読んでいたときに、そこに掲載されているコラムで、ネットで出回っている不幸のメールについて書かれているを読みました。かつて、あたしが小学生や中学生のころには「不幸の手紙」といって、その手紙が届いたら、一週間以内に同じ内容の手紙を5人の人に送らないと不幸になる、というもので、いわゆる都市伝説としてはポピュラーなものだったと思います。たぶん誰でも一度や二度は聞いたこと、あるいは体験したことがあるのではないでしょうか? ちなみに、あたしのように本当に嫌われていた人間には、そもそも誰も手紙なんか寄越さないので、あたしは「不幸の手紙」を受け取ったことはありません。

そんな「不幸の手紙」が時を超え、デジタル時代になって、こんどは「不幸のEメール」として復活したというわけです。ただし、そのコラムは「不幸のEメール」について来歴などを書いているのではなく、かなり手厳しく批判していたのです。そんなものに振り回されて怯える必要などさらさらない、ということです。

でも、その怯える必要のない理由が、あたし的にはとても面白かったので、今でもこのコラムのことはよく覚えているのです。とはいえ、そのコラムの筆者も、コラムのタイトルも、もちろんそれが載っていた雑誌の名前もまるっきり覚えていないのですが……(汗)

で、そのコラムでは、そもそもEメールはデジタルの世界のものであり、突き詰めれば「0」と「1」の世界です。そんなものに「呪い」なんかが紛れ込みようがないだろう、と書いていました。確かにその通りです。なおかつそのコラムでは、おどろおどろしいフォントでも使ってメールを送れるならまだしも(いまなら技術的に可能かしら?)、所詮「MS Pゴシック、9pt」の文字で書かれている文章なんて、どんなに恐ろしいことが書かれていても恐ろしさなんか感じない、とも書かれていました。

そう、だから、あたしはそれ以来、PCの画面上でゴシックの文字を見ているとこのコラムのことを思い出してしまうのです。映画「リング」も、ビデオテープが媒介になっていたころは、まだアナログ時代なので呪いが入る余地もあった気がするのですが、「貞子」になってEメールとかデジタル時代になってしまうと、所詮は「0と1」の世界に、どうやって貞子の呪いが紛れ込めるのだろうかと真剣に考えてしまいます(笑)。