今年は……

年明け最初の一週間が大過なく過ぎました。例年と比べて特に変わったことない新年になっています。業界としても明るいとか暗いとか、そういった感じもなく、あえて言うべきことの見つからない年明けという気がします。そんな感度の悪いことでいいのか、という気がしなくもないですが、これが偽らざる気持ちです。

年々、年賀状を減らしているということは既に書いたと思いますが、年が明け出社すると、会社宛の年賀状も多少は届いております。あたしの場合、社外の出版団体の会にも参加しているので、そういうところのメンバーから年賀状がそこそこ届いています。ほぼ例外なく、会社の社用年賀状に名前を書き添えたり、「ことよろ」的な一句を書き添えたりしただけのものばかりですが、皆さん律儀ですね。こういう年賀状を出す方というのは、たぶん会のメンバー全員に出しているのではないでしょうか? そして、ふだん回っている書店の方にも出しているのではないかと思われます。

あたしですか? あたしは全く出しません。出し始めると際限なく増えてしまうことになりますから、一切出しません。こちらから出さないと向こうからも来なくなりますから、あたしはそれでよいと思っています。それではまあ、あんまりだと思われるかもしれませんので、あたしの個人的な年賀状を画像にして出しておきます。

今年はかなりシンプルにしました。だって、この数十年、年末にこの一年を振り返ることもしなければ、年頭に当たって今年の抱負や目標を立てるようなこともしていませんので。あたしの場合、単なるちょっと長めのお休み、今月から来月に変わるだけのこと、というのが、ここ数十年の年末年始です。

年賀状を出さないからといって、あたしは別に声高に虚礼廃止を訴えたいわけではありません。年が明け、会社ではきちんと新年のあいさつを同僚や出入りの業者の方にはしております。それは当然だと思いますし、大事なことだと思っています。書店の場合、タイミングが悪く逢えない方もいましたけど、新年の数日で主だったところにはできるだけ顔を出すようにしていますので(東京以外の書店員さん、ゴメンナサイ)、それをもって換えさせていただいております。

なんでこうなってしまったか。

たぶん20代の後半から30歳目前くらいのころ、そろそろ結婚だよなあと漠然と考えていて、毎年のように「今年は結婚」のような目標を密かに心の中で立てていましたが、ことごとく虚しい結果となり、いつしか無駄なことはやめようという気分になってしまったのだと分析しております。

ちなみに、当時、付き合っていた異性がいたとか、意中の人がいたというわけではありません。20代後半は、痴呆が進んだ父を、母と二人で介護していましたので、それどころではありませんでした。ただ、そういう言い訳を除いたとしても、生まれてこの方、あたしは恋人ができたことがなく、異性とお付き合いしたこともありませんので、当時の新年の目標・抱負というのは、常に画餅であったわけですが(汗)。

たぶん、今年どころか一生このままなのではないかと思います。

ところでお気づきですか? 上掲の年賀状、「癸巳」の「癸」が「葵」になってしまっているのを!