亜流の亜流の亜流?

FOXムービー プレミアムでやっていた「アイス・ジョーズ」を視聴。

タイトルで既にわかるとおり、数あるジョーズものの一つです。今回は、雪の中をおよび回るサメがスキー場でバカンスを楽しむ若者たちを襲います。例によって、儲けることしか考えないスキー場のオーナーや地元の町長、それに対して正義感あふれる(途中からですが)保安官という構図は、まさに「ジョーズ」でしょう。

ところで、「なんで雪山にサメ?」ということの種明かしをしておかないとなりませんね。

映画の中で19世紀半ばと言っていましたので200年くらい前と考えてよいでしょうか。このスキー場はゴールドラッシュに沸き返り、多くの人が一攫千金を夢みてやってきたそうです。ところがここには先住民が住んでいて、この山を自分たちの神が宿る場所として神聖視して暮らしていたのです。当然、原住民と新参者(→たぶん白人でしょう)との闘いになりますが、旧式の武器しか持っていない少数の先住民では抗することもかなわず、女子供に至るまで虐殺されたそうです。その先住民の恨みを、ただ一人生き残ったシャーマンが一つに合わせ、いくら掘削してもそれを壊すような呪い(でしょうね)をかけたのです。その呪いの結果生まれたのがサメの形をした「スカッカム」というクリーチャー、化け物です。その後、暴れ回ったスカッカムをシャーマンがトーテムポールに封印して化け物は消え、いつしか山にも平穏が訪れて現在へ、という流れです。ナパーム弾のようなものが打ち込まれたせいで、そのトーテムが倒れ、封印されていたスカッカム、つまり人喰いサメの形をした化け物がよみがえってしまったというわけです。

さて、悪者がサメに食われるのは当然、遊びに来ているだけのアホな若者たちも何人かが犠牲になるのはこの手の映画の常道ですから予想の範囲内です。問題なのは、一応は海洋生物学者というふれこみであり、なおかつ25年前にスカッカムに襲われたのに唯一生き残ったという設定の女性(正義の保安官の恋人)が、何の活躍もしなければ、この惨劇解決の助けにもなっていたないことです。何のための設定なのか……

また、主役と呼んでよい休暇を楽しみにやってきた海兵隊員も、奮闘しますが結局は悪霊の権化であるサメの前になすすべもなく逃げ惑うばかり。悪霊が姿を現わしているわけですから、銃や爆弾ではやっつけられないのはわかりきっているのに、ではどうしたらよいのかがまるで考えつかないようです。

そして、この惨劇はどうやって終息するのか? それがこの映画の大どんでん返し的なところです。

途中でちょこっと変な日本人の女の子が出てきます。白人の男にナンパされたりしつつも、「あたし、スキー、うまいから」とあっさりかわして山の奥へ。そこで倒れているトーテムを元へ戻すと、その瞬間、サメ、否、スカッカムが消えるのです。つまりまた封印されたということなのでしょう。トーテムの数だけサメが泳ぎ回っていたのですが、トーテムを一本元へ戻すごとにサメが一頭ずつ消えていきます。

この謎の日本人はシャーマンの血を引く者だったのでしょうか? だったら、なんで日本人だったのでしょう? 同じモンゴロイド繋がりですか?(たぶん先住民って、いわゆるインディアンなどのモンゴロイドだったのでしょうね) あるいは、たまたまスキーをしていて倒れているトーテムを見つけて立て直してあげただけなのでしょうか? いや、そんな感じはしないです。やはり、トーテムが倒され封印が解かれたのを知って急いで駆けつけてきたと考えるべきでしょう? でも、だとすると、のんきにクラブハウスでコーヒーブレイクをしていた理由がわかりません。

うーん、謎の日本人女子。アメリカあたりではよいのでしょうけど、あのたどたどしい日本語も聞き捨てならないものでした。

結局、海兵隊員とその恋人たちは何とか助かるのですが、自分たちがなぜ助かったのか、サメがなぜ忽然と消えたのか、その理由はわからぬままスキー場を後にするのです。実際に自分がこんなめに遭ったら謎解きなどどうでもよく、とにかくその場から逃げたいと思うはずですから、この展開は自然ではありますが、映画としてはどうなのでしょうか?

それにしても、「ダブルヘッド・ジョーズ」「シャークトパス」「シャークネード」「ゴースト・シャーク」と言い、スピルバーグの「ジョーズ」の精神はどこへ行ってしまったのかと思えるような映画が量産されていますね。

 

 

ここまで来ると、もう悪ふざけとしか思えないです。あとは、もう陳腐なアイデア勝負、やったもん勝ちといったところでしょうか?

たぶん、今後も作られ続けるのでしょうね。

これなどは「ゴジラ対ガメラ」「ゴジラ対キングギドラ」のノリではないでしょうか? そのうち「ジョーズ対ジェイソン」というのも作られるのではないでしょうか?