返品について考える

ノーベル文学賞を村上春樹が受賞すれば、書店が活気づき、売り上げも上がり、出版不況にあえぐ業界には干天の慈雨となる。

確かに、そうでしょう。既に物理学賞を受賞されたお三方の著作の問い合わせが増えているとも聞きます。大本命・ハルキが受賞すれば、否が応でも盛り上がることは必至です。

ただ、先日も書いたように、今まで一部では読まれていたけど国民全体レベルではそれほど、という作家が受賞したのであれば売り上げの伸び、伸び代はかなり残っていると思いますが、こと、村上春樹の場合、既に相当数の国民がかっているはずですので、伸び代がどれほど残っているのか、疑問を呈する書店員さんもかなりいらっしゃいます。

それでも、受賞すれば売り上げが伸びることには変わりないので、受賞を期待するのは当然だと思います。やはり日本人が受賞するのは嬉しいですし。

さて、その出版不況。

よく言われるのがその返品率の高さです。他の業界ではわかりませんが、委託販売制度を採用している限り、そして薄利多種類を扱う出版という業界である以上、ある程度の返品率が生じるのはやむを得ない、必要悪であると、あたしは個人的には考えています。

では、業界的に、あるいはある書店として、またはあたしが勤務する白水社的に、現実的な数字として返品率がどのくらいまでなら許容範囲なのか。そんな具体的な数字はここには書けませんし、たぶん会社にょっても異なるところでしょう。ただ、それでも、あたしは、現在のような配本制度を採っている限り、ある程度の返品が生じるのはやむを得ないと思っているのです。人間が生きていくために呼吸する時、酸素を吸い込むだけでなく二酸化炭素を吐き出すように、書店が生きていくためにも商品の入れ替えとして返品が出るのは致し方ないことだと思います。

が、ここで思うのは最近増えてきたセレクトショップのような書店です。出版社や取次の配本パターンに任せるのではなく、あくまで自主的に吟味して仕入れるという体裁の書店です。雑誌などで書店特集、本屋さん特集が組まれると紹介されるような、雑貨も扱っていて、並べ方も従来の本屋さんのようではなく、書架もちょっとアンティークっぽいものを使っていたり、といった感じの本屋さんです。

そういう書店は、当然、自称なのか他称なのかわかりませんが、目利きと呼ばれる方が吟味に吟味を重ねて商品を選び発注し並べているのだと思います。当然、出版社の営業がお薦めしたからと言って、「はい、じゃあ、仕入れましょう」とはならない、そこには自分なりのこだわりがあるはずだと思います。

なのに、なのに、そういうこだわりの本屋さんと世間的には思われている書店からも、時に返品のお願いが来るのです。「えっ、ちょっと待って。そちらさんが自分で選び、自分の店に合っていると思ったからこそ注文した本でしょ。最後まで責任もって売ってよ」というのが嘘偽りのない、あたしの本音です。

でも、多くはないですが、来るんですよね、ときどき。

例えば、ある時季、お店の一角を使ってフェアをやったので、いつもより多めに注文していたけど、そのフェアが終わったので、通常の書架に必要な分以外は返品したいです、というのであればまだわかるのですが、そういう理由も何もなくお願いされてもですね……