第14回 大学院1年次

大学院のカリキュラムは学校によってかなり違うのかもしれませんが、東洋大学の場合、というより私が入院した頃は、修士論文を除くと1週間に8科目ほど履修すればよいような状態でした。私はこれをうまく割り振って週に2日だけ行けばよいような時間割を組みました。今となっては記憶が定かではないですが、たぶん1年次に授業の単位はすべて取ってしまったと思います。

大学院の同期は同じく東洋の学部から上がってきたのが1名、他大学から入ってきたのが1名で合計3人でした。私以外の他の2人は現在は大学で中国を教えています。いずれは自分の専門分野の講義を受け持つ日が来るのでしょう。

さて、大学院の授業は決して東洋の先生だけで成り立っているのではなく、他の大学から出講されている先生もいます。授業が始まるに当たって東洋の先生からも、また先輩方からも他大学から来ている先生の授業に誰も出席しないのはまずいから、うまく按排するようにと言われました。たまたまこの時は3名の先生が来ていて、それぞれの専門分野と我々自身の専攻分野との兼ね合いで、うまく新1年生3人がそれぞれ分かれて出ることで解決しました。

大学院はこの当時は修士課程だけですから2年間です。1学年上には大学院進学者が1名しかいませんでした。2学年上は大学院進学者がゼロだったようです。結局、卒業を延ばしている(?)先輩や修了後も聴講に来ている先輩方を含めても、非常に寂しい大学院でした。ですから我々が一気に3名入ったことはかなりのインパクトではなかったかと思います。その後は割とこのくらいの人数ずつ毎年入院する者がいます。

授業にはこういった先輩方も出席されますが、基本的には座っているだけで、担当部分を読んで訳して説明して、といういわゆる演習の実際は1年生である我々の仕事でした。1年生が複数出ている授業もありましたが、ほとんどは私しか1年生がいない授業ばかりでしたので、毎回が発表当番でした。たぶんあとの2人も同じような状況だったと思います。

1年次の授業は、王充の『論衡』、『呂氏春秋』、『列子』張湛注、『史通』が演習形式の授業で、その他に語学科目として現代中国語翻訳法とでも呼ぶべき授業と音韻学がありました。音韻学は今は亡き金岡照光先生の担当講座でしたが、病気のため授業は行なわれず、我々学生が先輩方に指導を受けながら、金岡先生が選んでおいてくれた音韻学のテキストを読み進めるという形式の授業になりました。金岡先生が亡くなられたのは、大学院1年次が終了した3月のことでした。

さらに、1年次に履修した授業はあと1つ、今の私につながる董仲舒『春秋繁露』がありました。他の授業については基本的には人数が少なくなっただけで、学部の3、4年次の演習授業の延長ですから、言を費やしませんが、ほとんど毎回自分が発表で、隣に先輩がいてくれる授業もありましたが、幾つかは先生1人、私1人という授業もあり、その緊張感といい、予習にかける時間といい学部時代とは比べものにならないものでした。

この中で『列子』の授業はちょっと異彩を放っていました。この授業は東洋の先生ではなく他大学から出講されている先生の受け持ちでしたから、私にとっては全く初顔の先生です。古代思想を学んでいる関係上、老荘にも興味はありましたから、履修するのは当然という気持ちで選択しました。もちろん他大学からの先生の授業に穴を開けない、という不文律の中で他の1年生2人の専攻と先生方の授業内容を見比べれば、この授業を私が選択するのは当然とではありましたが…。

しかし、やはりこれまで習ったことのない先生の授業というのは刺激もあり、また授業スタイルの違いも初めこそとまどいましたが新鮮な驚きでした。具体的に言うならば、学部時代まで基本的に東洋の先生は訓読をさせて解釈をさせる、という極めてオーソドックスなスタイルの授業でしたが、『列子』の授業はそうではなかったのです。もちろん訓読・解釈はありますが、その前に音読も課されるのです。

古典作品を現代音で読むことについては異論のある方もいるのでしょうが、私自身は、やはり中国語のリズムになじむという面では非常に効果的だと思います。それにこれからの国際化時代、中国古典を現代中国語で読む(発音する)のがスタンダードであると思い、苦労はしましたが自分としては頑張って取り組みました。自分が出るなんて想像もしていませんが、国際学会で「孔子」を「こうし」と言えば日本だけの話ですが、「コンズ」と言えば、世界中の学者の共通語ですし、「子曰…」も「し、いわく…」ではなく、欧米の学者だって「ズーユエ…」と読んでいるわけですから、互いに同じ土俵に立って議論するためにも現代中国語で読めることも大事だと考えました。「ハンウーティ」と言われて、即座に「漢武帝」と気づけるようになりたいものです。私が現代語で古典を読むことに見いだした意味というのは、むしろこの面の方が大きかったかもしれません。

(第14回 完)

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