ガイブンのプロモーション

昨晩のイベントは『文盲』の訳者と言うよりも、やはり『悪童日記』の訳者である堀茂樹さんを迎えてのトークイベントでした。映画「悪童日記」のプロモーションが眼目ではありましたが、堀さんの『悪童日記』をはじめとするアゴタ・クリストフ作品に対する熱い思いを聞けたのがなによりでした。

 

いまでこそ名作と呼ばれる『悪童日記』ですが、当時は無名の作家アゴタ・クリストフ、無名の訳者・堀茂樹という組み合わせで、堀さんも出版にこぎ着けることができるのか不安だらけであったようです。ただ、フランス遊学中に出会ったアゴタ・クリストフ作品の衝撃を、なんとしても日本に紹介したいという熱い思いだけで突っ走ってしまったようでした。

無名の作家ですから、いまからするとすごい数字ですが、当時としては実に控えめ数字でスタートした『悪童日記』は、当初はあまり注目もされていなかったようですが、じきにポツポツと書評に取り上げられるようになっていったそうです。そのほとんどが激賞に近い内容だったとか。原題をそのままタイトルにしたのでは、既にある作品とかぶってしまうので、少しでもインパクトのある邦題を着けようと必死になって頭を絞り、出てきたのが「悪童日記」だったとか。ちなみに英語版のタイトルは「ノートブック」だそうです。

この「悪童日記」という、一見して「何? これ?」と思わせるタイトルが奏功したのでしょうか、本好きの間で少しずつ面白さが伝わっていったようです。そして雑誌「ダ・ヴィンチ」の第0号の表紙で、当時の人気俳優(?)、本木雅弘が本書を手にしたことが決定打になって一気にベストセラーへの階段を駆け上がっていったそうです。それ以前にも、フランス文学研究者にはほとんどネグレクトされていたのが、著名な先生の紹介によって仏文科の先生方にも知られるようになり、にわかに注目度が高まっていったそうです。そして1995年のアゴタ来日がダメを押し、名実共に大ベストセラーになったようです。

さて、堀さん曰く、早川書房は当初はそれほど大がかりなプロモーションをしたわけではなかったそうです。面白い作品と作家だとは思っても、早川が出している数ある作品の中の一つにすぎなかったのでしょう。それが訳者の思い入れによってここまでの作品になったわけです。

ただ、訳者や担当編集者の思い入れだけで本が売れるわけではありません。書評がたくさん出て、多くの人が褒めてくれた、そんなガイブン作品は『悪童日記』以外にもたくさんあります。書評が出たのですからまるっきり売れなかったわけでもないでしょう。でも、ここまで大化けする作品はそうそうあるものではありません。

訳者が入れ込んでいる、書評が数多く出る、それだけでは足りません。やはり最後にものを言うのは、文書が持つ力ではないでしょうか。これは堀さんもおっしゃっていました。もちろん時代の空気というものもあるでしょう。どんなによい作品でも、その時代の空気に合っていないと受け入れられません。そんな時代性をはねのけ、どんな時代、どんな国でも受け入れられる作品もあるのかもしれませんが、それはほんの一握りです。少なくとも出版社としては、たとえどんなにすばらしい作品でも、今の時代にふさわしいのかを、もっと吟味しないと出版しても売れない、ということになってしまうのでしょう。

どうしたらガイブンが売れるのか、昨晩の話を聞きながら、そして帰り道に思い起こしながら考えておりました。