紙の目録

先日の人文図書目録刊行会の年次総会の席で薄ぼんやりと考えていました。

紙の目録の需要は今後もあるのだろうか、と。

確かに、各社のウェブサイトが充実してきて、TwitterやFacebookを利用した情報発信も行なわれていますから、アンテナさえ張っていれば、それなりに情報収集は可能です。また、アマゾンや紀伊國屋書店、ジュンク堂書店といった大手書店のウェブサイトを使えば、出版社横断的な検索もそれなりにできます。

こう書くと、ますます「紙の」目録は必要ないのではないかという気になります。

が、総会の挨拶で出た話題ですが、ネットが普及して旅行ガイドは売れなくなると思われていたが、むしろ部数を伸ばしている、工夫を凝らして作れば、情報化社会、ネット社会と言われる現在でも、情報誌の生き残る道は十二分にあるのだと。

これは嬉しい知らせです。

ただ、ネットを越えた工夫、ネットでは出来ない趣向、それが難しいところでもあります。人文書を愛する人はネットよりも紙だ、と言う人の割合がまだまだ高いと思いますが、それでも若い人を中心にネット利用の傾向は高まるばかり。やはりネットでは出来ないことをしていかないと、早晩「紙の」目録は不要になるのではないでしょうか?

とりあえず、現状では紙の目録はネットと異なり紙幅の制限がありますから、何でもかんでも載せているわけではなく、そこにはフィルターがかけられているということです。ここが何でもかんでも拾ってきてしまうネットとの最大の違いでしょう。たとえばアマゾンなどのサイトで「ニーチェ」と検索すれば、数限りない「ニーチェ本」がヒットするでしょうけど、ニーチェについて学びたいと思っている入門書にふさわしい本がどれなのか、そういうことまでは検索結果で答えるのは難しいでしょう。紙の目録の優れているところはそんなところだと思います、特にジャンルごとの目録の場合は。

そこをもっとブラッシュアップして、「紙だからこそ」「紙でなければ」と言われるような目録にしていかないとダメなのでしょう。それが出来なければ、そんな目録はやめるべきなのかもしれません。

そんなことを思いました。