専門家の端くれとして?

6・4天安門事件の25周年を前にして、昨今の中国のことについて考えたりしています。一応は学生時代、中国思想を専攻としていた人間ですから、他人事で済ますわけにもいきません、と個人的には思っているのです。

でも、中国はわからない、という論調が多いような気もしますが、中国のやっていることで理解できないことって、実はあたし的には一つもないんです。どんな行動も「ああ、やっぱりね」とか、「そう来たか」と思えることがほとんどなのです。別に、あたしが普段から中国の新聞やテレビ、ラジオを注目しているからだとか、ネットからの情報収集に余念がないからだとか、そんなことではありません。ただただ、中国のことをずっと勉強してきためで眺めると、決して不思議なことでもなければ、唐突に起こったことだとも思われないだけなのです。

むしろ、これからどうなると思う、と聞かれる方が困ります。日本と戦争をしたくはないというのは、中国の指導者のほぼ一致した意見だと思いますが、その指導者というのはかなり狭い範囲ではないかと思います。ちょっと指導者層の範囲を広げ、人民解放軍の現場レベルにまでいくと、「戦争は起こさないけど、ちょっと日本の鼻を明かしてやれ」とか、「たまには日本に目にもの見せてやれ」くらいの感情を持っている人はいると思います。

どの程度までなら戦争ではなく、どこまで行ったら戦争なのか、それはなんとも言えませんが、日中双方には日中戦争という歴史の鑑があります。あの時、どのタイミングでどんな行動を選択していれば、あんな戦争が起こらずに済んだのか、双方の指導者はよくよくわきまえていないとならないはずです。

実は、安倍総理を初めとする昨今の日本の政治家が「戦争を知らない世代」と言われて危惧されているように、中国の指導部も戦争を知らない世代になっているのが、やはり不気味な懸念材料ではあります。国内的には、経済成長が鈍化すれば、これまでなんとかごまかしてきた国内の矛盾や不満が表面化しやすくなりますから、そこを指導部がどうかわしていくか、鍵はそこにかかっているのはどの識者もチャイナウォッチャーも同じ意見だと思いますが、その鍵をどう見るかの変数が人それぞれ、バラバラなので中国崩壊論から台頭論まで差が大きくなってしまうのでしょう。