桜吹雪の下に

東京は桜が散り始めてきました。帰り際、わが家の近所の桜のトンネルは、夕暮れの風に吹かれ、まさしく桜吹雪の状態で、とてもきれいですが、悲しみもこみ上げてきます。

あたし、桜を見ると、どうしても切なくなるんですよね。

さすがに、満開の桜の木の下に死体が埋まっているとは思いませんが、桜吹雪を見上げながら、切なくなって視線を下に下ろすと、一本の桜の木の根元に一人の初老の浮浪者がうずくまっています。桜見物なんて洒落たことをしているわけではなく、その浮浪者は既に息絶えているのです。桜の木の根元で、幹に寄りかかって遂に力尽きそこで息を引き取ったのです。

道行く人は誰一人、その浮浪者に注意を向けません。春の宵、桜を愛でながら居眠りでもしていると思っているのか、あるいは見るからに汚いその浮浪者と関わりになるのを避けているだけなのか。

きれいな桜と花と、蝿がたかり蛆がわきそうな浮浪者の骸。グロテスクな一幅の絵画です。

しかし、浮浪者の顔をよーく見ると、どこかに見覚えがある顔です。しばし考えを巡らせて思い至りました。あたしの5年後か10年後の姿です。たとえ桜の木の下を選んだとはいえ、詰まるところ野垂れ死に。西行のように格好良くはいきません。たぶん、あたしは畳の上で死ねないのかな、そんな予感に囚われました。

こういうのを白昼夢というのでしょうか? いや、白昼ではなく夕暮れ時のことですが。