クリスマスの悲惨な想い出

このところテレビのバラエティー番組などでは芸能人のクリスマスの思い出話などを聞く機会が増えています。アイドルや俳優、女優になると恋人との甘い思い出話になることも多いですが、これがお笑い芸人になると哀しい思い出を期待されているのか、たいていはそんな話に終始しているようです。まあ、番組上は美男美女の羨ましい話よりも、笑えるような悲惨な話を好むわけですから、こちらもそういった話、時には再現ドラマなどを視て笑っています。

が、ふと、気づいたのです。

あたしの場合、人が羨むような話はもちろんありませんが、人を笑わせるような悲惨な思い出話もないということを。

そもそもクリスマスの想い出というのがありません。あたしはキリシタンではありませんから、子供のころから、いわゆるクリスマスの行事といったものは、せいぜいのところ親にプレゼントを買ってもらう、ケーキを食べるくらいしかありませんでしたし、子供のころの話であれば、これは至ってフツーのことだと思います。

高校生くらいになれば恋人もできて一緒に過ごすなんていうこともありそうですが、そういったことはついぞなく、それは大学時代も、大学院時代も、そして社会人になった今に至るまで継続しております。別に恋人と過ごさなくても仲の良い友達とホームパーティーとか、美味しいものを食べに行くことはないの、と聞かれても、そういう友達というものがいませんので、それもありません。

つまるところ、クリスマスに限らず、恋愛話、失恋話や友人との思い出話全般、あたしの場合、人生においてほぼ皆無だということに思い至りました。それがおかしいとか、寂しいとか、そんな風には考えませんが、テレビで芸能人がこの手の話で盛り上がっているのを見ると、「もし自分が芸能人だったとして、こういう番組にゲストとして呼ばれても、話すことが本当にないなあ」と思うくらいです。つまり、自分はトーク番組、バラエティ番組には向かないんだなあということを自覚するだけです。ですが、次の瞬間、でも自分は芸能人じゃないから、という至極もっともな結論というか現実を思い起こすわけです。

そして、今年もなんということもなく、クリスマスは過ぎていくのでしょう。365日のうちの、とある一日として。