台湾人の悲哀

「台湾人の悲哀」、確かそんなセリフを発したのは李登輝氏だったような記憶があります。今は亡き司馬遼太郎さんとの対談の時の話だったと思います。

そんな言葉を思い出したのは平凡社新書の『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』を読んだからです。

李登輝が言った「台湾人」というのが具体的にどういう人を指しているのかわかりませんが、一口に台湾人と言ってもさまざまな立場があるのだということが本書を読むとわかります。

一般に台湾人と言った時に、多くの日本人でも知っていそうな知識としては、もともと台湾に住んでいた中国人(福建などからの移住者)と国共内戦に敗れ国民党と共に台湾へ移ってきた中国人の確執ではないでしょうか。いわゆる本省人と外省人の問題であり、李登輝が台湾総統になった時には「本省人の総統」として話題になりました。

確かに、この二つの中国人の問題は台湾の大きな溝でもありますが、言ってしまえば漢民族の中の問題です。本書では、漢民族ではない台湾人、日本人には高砂族として知られる台湾原住民族が主人公となっています。

台湾原住民族がアジア太平洋戦争の時に徴兵され、日本軍として戦ったということは、ごくごく表面的な知識としては知っていました。本書を読むと、亜熱帯の台湾で暮らしていた高砂族が南洋戦線で非常に優秀であり大活躍したことが描かれています。

しかし、彼らが何故それほど頑張ったのかという点については、日本人としては悲しみを覚えます。本書によれば、漢民族から差別されていた原住民たちは日本兵になることで日本人として扱われ、差別的な立場から脱却しようとしていたそうなのです。その気持ちは察するにあまりあるものです。では実際に日本人として遇されたのかといえば、やはりそんなことはなく、厳然たる差別が残っていたようです。

もちろん南洋戦線で一緒に生死の境を彷徨った日本兵との間には個人的な友情や結びつきもあったでしょうが、それは本当にささやかな歴史のひとこまであり、本書を読んだ印象では使い捨てにされたという感じです。

なおかつ、戦後は日本人ではなくなったために戦後補償もなされず、なおかつ日本協力者としてさらなる差別に見舞われたわけです。日本軍と同じように国民党も彼らの戦闘能力を高く買い、対共産党の内戦に送り込みましたが、共産党軍に敗れた後、原住民たちはこんどは共産党軍として戦う羽目になります。しかし、ここでも差別され、どこへ行っても差別される立場に変わりのない彼らの悲哀が憐れです。

2018年8月29日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー