まさに碩学

昨日から通勤電車の中で読んでいるのは『平安朝の生活と文学』です。

著者は源氏物語研究の泰斗、池田亀鑑です。いまや、池田亀鑑と書いて「いけだ・きかん」と読める人も少なくなっているのではないでしょうか? そもそも、このような書かず、いきなり「池田亀鑑」と書かれたら、それが人名だとわかってもらえない可能性が高いのではないでしょうか? 仕方ないでしょうね。いわゆる大家、大学者といった方ですから。

もちろん、あたしは実際に逢ったことはありませんし、授業を受けたわけでもありません。と言うよりも、あたしが生まれるはるか以前に亡くなっていますから、逢いたくたって逢えません。今の時代、学界の趨勢がどうなのかわかりませんし、あたしは日本文学の専門家ではありませんから、あくまで外野の素人です。それでも『源氏物語』と言えば池田亀鑑、というくらいの知識はあります。

そんな碩学が平安朝の文化についてわかりやすく書いているのが本書です。いろいろなところから出版されてきたみたいで、現在はこの筑摩書房の文庫になっております。ところどころ、平安文学の原文をそのまま引いているところもありますので、古典に全く親しみのない人には厳しいかもしれませんが、多少は学校の授業でも読みましたよ、程度の覚えがあれば理解は可能だと思います。そして、文章は実にわかりやすいです。著者の平安文学に対するものすごーいバックボーンから紡がれる言葉は実に平明で、研究書という感じは全く受けません。むしろエッセイに近い感覚で読めます。難しい考証などは省き、滔々と講義を進めている趣があります。それでいて、表面をなぞっただけの薄っぺらな感じはなく、著者の該博な知識が行間から垣間見える文章です。

これぞまさしく真の学者。完全に知識を自分のものにして、古典を咀嚼しつくした上で、自分の言葉でやさしく語ってくれています。なまじ知識だけが過多になり、自家薬籠中のものにできていない学者の文章ですとこうはいきません。池田亀鑑というと、もう十年以上前に、やはり岩波文庫で『古典学入門』が復刊された時に買って読みました。

この本も実にわかりやすい、読みやすい文章でした。これだけのことを、軽々と書いてしまうにはどれだけの素養を内に蓄えたらよいのでしょう、そんな思いに駆られた記憶があります。

どちらも高校生でも十分読めます。夏の読書にどうでしょうか? 学問が本当に身につくとはどういうことか、わかるのではないでしょうか?