一番怖いのはヒト?

なんとなく暑さにも慣れてきたのか、夜などはいくぶん寝苦しさから解放されつつあるように感じますが如何でしょう? さて、本日はこんな映画を鑑賞しておりました。

まずは「シャーク・ナイト」です。大学生の男女数名がバカンスに田舎へやってくるというのは、この手の映画のおきまりのパターンです。今回の場合、舞台は海ではなく湖です。「湖なのにサメ?」というところはなかなかの設定だと思うのですが、あまりそれを活かせているとは感じません。淡水でもサメは生息できるのか、それとも浜名湖や宍道湖のように海に近いところにあり、潮の満ち引きで塩水が流れ込むような場所にある湖なのか、そのあたりは映画の中でははっきりしませんが、とにかく海に住むサメが出てきます。

ストーリーとしては、若者たちが一人、また一人とサメに襲われ犠牲になっていく、最後は男女一人ずつが助かるという、やはりこの手の映画のおきまりのパターンですが、なぜサメがいたのか、その理由がこの映画の本当の怖さではないでしょうか? 訪れた湖は学生たちの中の一人の女の子の別荘です。広大な湖の中にある島にぽつりと建っている立派な別荘です。見る限り、その島にはその別荘以外建っていないようです。そして、これもこういう映画のお約束で、都会を離れた孤島の別荘なので携帯電話は繋がらない、という設定です。しかし、別荘に電気やガス(←これはプロパンかも?)が来ているようなので、当然固定電話が引かれていてもよさそうなものですが、それはないのですね。

で、ストーリーは端折って、なんでサメがいるのかですが、地元でかつてダイビングを教えていた主人公の昔の恋人とその悪友、それにこれは途中で正体がばれるようになっていますが、その地区の保安官の三人が、密かに湖にサメを放し、人が襲われるのをビデオ撮影し、動画サイトにアップしてお金儲けをしているというからくりだったのです。ですから、「ジョーズ」のようにホオジロザメ一匹ではなく、いろいろなサメが出てきますし、決してありえないほど巨大なサメが出てくるわけでもありません。

結局、サメに尾触れたのを助けてくれたようなふりをした彼ら三人に騙され、若者たちは次々に鮫の餌にされていくという内容で、最後は見事に形勢逆転、主人公とそのボーイフレンド候補のような男子が生き残り、彼ら悪徳三人組を逆にサメの餌食にして助かるというお話です。結局、一連の「ジョーズ」のように自然界のサメが襲って来るというのではなく、人間によって持ち込まれたサメが人を襲うわけで、なおかつそれを撮影して愉しんでいる輩がいるという、非常にブラックなストーリーでした。

続きましては、こちらです。

アラクノフォビア」です。クモが襲ってくるお話です。田舎町に越してきて開業した医師一家の回りで突然死が頻発し、田舎の人は「ドクター・デス」と言って主人公を冷たい目で見ます。ただ、それも束の間、突然死の正体が毒グモのせいだとわかり、こんどは一転、クモとの攻防の話になります。

このクモ、ベネズエラのジャングルで見つかった新種で、ベネズエラで噛まれて死んだカメラマンの棺に紛れ込んでこの街まで運ばれてきたのです。そして、この街のクモと交配し子供が産まれ増えていったというわけです。一般のクモは働くだけで毒は持っていても子孫を残すことはなく、すぐに死ぬわけで、肝心なのは女王蜂ならぬ、女王クモを探し出して、その巣もろとも処分するということです。主人公の開業医がクモ恐怖症であるという設定が必要だったのかどうか、後半の活躍を見ると必要性を感じませんが、この医者とクモ研究者の博士、その助手、そして害虫駆除業者で、なんとか街のクモを退治しようと乗り出します。が、博士は早々にクモの餌食になってしまいます。それにしても、チクッという一咬みですぐに人を死に至らしめるとは、ものすごい毒性です。

博士の助手が意外といい仕事をし害虫駆除業者が頼りなさそうでいて、結経強力な武器を携えてクモをやっつけるところは、爽快ではありますが、ストーリーの緊張をややそぐ嫌いがあります。そして、うまいこと主人公は咬まれず、女王グモを退治できたわけですが、クモってあれほどの知能を持っているのでしょうか? 完全に人の動きを察知して行動しています。新種だから設定はどうにでもなるのでしょうか? いや、でも所詮は昆虫なわけだし……