靖国神社って……

総理大臣や主要閣僚が参拝するのかしないのかで毎年騒ぎになる靖国神社。あたし自身は参拝したことはありませんし、しようとも思いません。なぜなら、幸いにしてあたしの親戚には先の戦争で亡くなった者はおらず、あたしの知る限り、靖国神社に祀られている先祖などもいないからです。

ですから、個人として、自分のおじいちゃんとか夫とか、兄弟が祀られているという人なら、たぶんはっきりとした命日もわかっていないことが多いでしょうし、故郷のお墓には遺骨すら入っていない人もいるのでしょうから、終戦記念日の8月15日に靖国神社にお参りに来るという気持ちはわかります。それこそ安倍晋三や石原慎太郎が言うように、亡くなった人を弔うのは自然な感情だ、と言うこともその意味では正しいと思います。

でも、そういう気持ちでお参りに来る人が果たして「お国のために命を捧げた人の霊を慰める」ためにお参りしているのかどうか、あたしには疑問です。上に書いたような、ごくごく一般の人はあくまで自分の身近な人に逢いに来るのであって、そこには「お国のため」といった感情はほとんど入り込んでこないような気がするのです。

ところで、今回の終戦の日の式典。戦後68年ですから68回目です。果たして、いつまでやり続けるのでしょうか?

先の戦争の惨禍を忘れないためだ、というのであれば、別に毎年8月15日に靖国神社なり千鳥ヶ淵なりに行く必要性を感じません。もっと他の方法があると思います。ただ、それよりも68年もやり続けたのだから、もういいんじゃないの、という気がします。だって、親が死んだとしても、法事ってせいぜい三十三回忌で終わりでしょ。そのくらいで法要としての祭祀は終わりにしてもよいのではないかと思います。

いや、そんなことではいけない。あの戦争の悲惨さは未来永劫伝えていかなければ、という意見もあるでしょう。伝えていかなければならないということについては賛成ですが、あたしが言いたいのは、それが靖国神社へ行くことなのか、武道館などで式典を行なうことなのか、ということです。そういう意見、テレビや新聞でもほとんど聞かれないのですが、少し議論されてもよいのではないでしょうか?

あと、自民党の政治家などに見られる意見で、いつまで中国や韓国に対して謝り続ければいいんだ、というものがあります。加害者側がよくもそんなセリフを言えるなあと思いますし、あなた方のそんな言動が相手側の反発を招いているってわからないのかあ、と思います。

それはそうと、朝日新聞などでも戦争を語り継ごうといった特集をやっています。いまだに戦争の悲惨さを伝えようとしているわけで、侵略側の日本ですらそういう活動をしているというのに、侵略された側である中国や韓国を初めとしたアジアの人が、そう簡単にやられたことを忘れたり、歴史の向こうに追いやったりするものでしょうか? そのあたりの想像力が自民党の政治か連中には決定的に欠けている気がします。

もちろん中国や韓国が自分たちに都合のよい歴史を主張しているのはわかりますが、それは歴史学者の仕事であり、政治家が口を挟むことではないと個人的には思います。