神保町に来ないと?

先程、神保町にオープンした新しい書店のことを書きましたが、併せて学生が本を買わないということも書きました。

で、思い出したのですが、あたしが学生のころ、と言いますか、大学一年生になった当時は、最初の週末に先輩が神保町の中国関係の書店を案内してくれるイベントがありました。実際のところ、参加する新入生は10名前後だったと思いますし、誰もが参加しなければならない必須の行事というわけではありませんでした。

翌年からは、こんどは自分たちが新入生を案内する側に回りますが、あたしが4年生のころには、もうそんな行事も参加する新入生はほとんどいなくて、大学院のころや社会人になったころには、神保町巡りは行なわれなくなっていたと思います。

意欲ある新入生が減ったのもあるでしょうが、上級生にしても、そういった学外の時間も一緒に過ごすような関係を敬遠するタイプが多くなってきた時代なのだと思います。サークル参加者が集めにくくなってきたのも、この頃からだと思います。

さて、あたしが学生時代の神保町書店巡りは、まずJRまたは都営三田線の水道橋で降り、すぐ近くの中華書店に寄るところからスタートしました。その後、白山通りを神保町交差点に向けて南下する途中に海風書店という台湾系の書店がありました。そして神保町交差点の近くには燎原書店があり、靖国通りを渡ると内山書店と東方書店が斜めに向き合うようにありました。靖国通りを九段下の方に向かうと専修大交差点の手前に山本書店があり、逆方向、神田駅の方へ向かって南へ折れると、亜東書店があり、このくらいが輸入書籍を扱っている本屋でした。

中国文学や中国思想の専攻がある大学はそれなりの数に上ると思いますが、やはり原書が手に入りやすいという意味では、これだけ専門書店が集まっている東京は恵まれた環境だったと思います。地方の人はどうしていたのでしょう? またこれに加えて、江戸期の漢籍や漢文などを中心に扱う古書店も何軒かありましたから、あたしなど、授業の合間に定期券もあり、白山駅から神保町はすぐに行けるので、しょっちゅうぶらついていたものです。

で、大学4年生の時と大学院修士二年間はあたし自身が東方書店でバイトをしていたのですが(店舗ではなく他の部署です)、お店に行くとよく「最近は全然学生っぽいお客さんがいないよ」と言われました。あたしが学生のころ、つまりバイトではなくお客として東方書店を利用していたころは、あたしのようにしょっちゅう通っていた学生もたくさんいましたが、少なくとも年度初めには指定されたテキスト(論語や史記の原書などなど)を買いに来る学生で賑わっていたそうです。

それが、あたしがバイトをしていたころには春先も集団で原書を買いに来たりする学生をほとんど見かけなくなっていたそうです。時には「先生方は市販の教材を使っていないの?」とお店の人に聞かれることもありました。あまりにも学生が買いに来ないので、先生がプリントをコピーして教材にしているのではないかと思ったようです。

と、そんな時代から数えると、もう30年弱の時間が経っています。学生が本を読まない、本を買わないというのは昭和の時代から現われていた現象だったというのがわかります。学問ですから、本を買えばよいというものでもありませんが、最低限必要な書籍は手元に置いていないと話にならないという常識が常識ではなくなったのが、昭和から平成に変わるころだったようです。

2018年5月6日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー