百年後、千年後にデータを伝えるには、やはり紙なのでしょうか?

本日の朝日新聞の記事です。

電子データの保存についてですね。DVDとかBlu-rayって、何十年か何百年もすると、それ自体が劣化して読み出せなくなってしまうのでしょうか? 確かに磁力に弱そうなので、保管場所次第では数年でダメになってしまいそうな気もします。

そういう問題とは別に、読み出す機器があるのかどうかという問題がありますね。少し前にこのダイアリーに書きましたが、いまやFDやMOに保存してあるデータをどうやって再び読み出せばよいのか、それが問題です。このままではDVDだって似たようなことになりかねません。

現状ですと、microMDなどがパソコンでもスマホでも一番使われていると思いますが、デジカメの記録メディアの変遷を見てもわかるように、これだって10年後も標準的な保存メディアなのか不安です。果たして、数百年後の人類に伝えるための媒体としてふさわしいのはどれなのでしょう?

こういう記事を読むたびに思い出されるのは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』です。同書の中で、ウンベルト・エーコは、書物という媒体は出来上がったときに既に完成形であったと指摘しています。書物は、確かに腐食とか燃焼とかの心配はありますので完全無欠のものではないですが、それでも数百年前の書物をわれわれはそのまま読むことができます。特別な装置を使わなくても利用できるという点では確かに完成形の媒体です。そこがフロッピーやDVDなどと異なる最大の点であり、アドバンテージです。こんな書物を越える記録・保管メディア、人類は発明することができるのでしょうか?