読書と現実がオーバーラップして……

土俵上で倒れた市長の救護ために女性が上がったことで、土俵から降りるようにとアナウンスが流れたというニュース。欧米のメディアが日本の男尊女卑、男女不平等を指摘するニュースとして配信していたり、別の女性市長が土俵に上がれず、土俵下で挨拶をしたことなど、いろいろ出て来ています。

土俵と女性については過去にも何度か議論があったので、相撲協会もそれなりに考えているのではないかと思いますが、女性が土俵に上がってもよいのか否か、いろいろと考えさせられます。

ちびっ子大相撲大会などが全国各地で行なわれていますが、そこには女子児童も参加していますから、当然のことながら土俵に上がっています。もちろん子供の相撲と力士の大相撲を一緒にするなと言われそうですが、でも同じ相撲じゃない、という言い分だって十分に説得力があります。むしろ、女性の穢れは生理の血が不浄だと言われることが多いですから、ちびっ子相撲などの児童は初潮前なので「不浄な女性」にカウントされず、だから土俵に上がっても構わない、という立場なのでしょうか?

あたし個人としては、何でもかんでも男女平等で昔からの伝統を変えてしまうのはどうかと思う人間なのですが、今回のような緊急事態は別として、女性市長の挨拶などあらかじめわかっているときは土俵上にカーペットを敷くなどして対応することもできるのではないかと思います。あるいは男女を問わず、現役の力士と行司以外が土俵に上がるときはあらかじめ聖水のようなもので手を洗い口をすすがなければならない、というルールでも設ければ男女を区別する必要はなくなると思うのですが……

ただ、九州の宗像神社のようにそもそも人間の立ち入りを原則禁止しているところもあるわけで、これまでの伝統というのもそれなりに大事にしたいな、とも思うのです。男女不平等を伝える欧米のメディアも、ではローマ教皇や枢機卿が男性のみに限られることについて何も言わないのか、という疑問もあります。

 

いまのあたしは、「男女平等でなくてもいいじゃない」という方にちょっと流れ気味です。それはたぶんこのところ『イスラム教の論理』『イスラーム主義』といった、シスラーム関係の本を読んでいるからかも知れません。

イスラム教はご存じのように厳然とした男女の区別、欧米流に言えば差別が残っています。同性愛などももちろん禁止です。そんなイスラームについて書いている本を読んでいると、そういう価値観を欧米流の価値観で否定するのではなく、彼らには彼らなりの価値観があり、それに従って生活しているのだということがわかります。一方的な西洋流の価値観の押しつけが結局のところ過激派によるテロを招いているのだと思います。

なので、今回の騒動を見聞きするにつけ、確かに男女平等は基本だと思いつつ、古来からの伝統にまであまり杓子定規に当てはめてしまうのはどうか、という思いが出てしまいます。「今回は人の命がかかっているのだ」と言ったところで、イスラームのように「来世で神様のそばへ行ける」と考える人たちなら、一概に命が何よりも大切とは考えないのかも知れませんし。

ここまで考え方や立ち位置が異なっていても、それでも同じ人間なんだから話せば理解し合えるようになるのでしょうか、という素朴かつ根源的な疑問も湧き起こってきます。