昨夕の梓会の親睦会。
もう何回目かの参加ですので、顔見知りの人もずいぶんと増えました。それでも「ご無沙汰です」と挨拶されても誰だったか全く思い出せない人がほとんどという体たらく。胸に名札を付けていたので、名前を確認すると「ああ、確か某某の会の時にご一緒しましたね」と言う程度には思い出せたりするのですが、名前を見ても思い出せない方も何人か……
それにしても、遠くで見かけたということをカウントしなければ、お互いに顔を合わせた回数というのは同じはずです。それなのに、こちらは覚えていないのに、向こうはあたしのことを覚えている。人間としての認識能力に超えられない差があるのでしょうか?
あたしが逢った人のことを覚えないというのは、偉そうに言えることではありませんし、もちろん偉そうに言うつもりは毛頭なく、あくまで事実の正確な記述としてここに書いているわけですが、とにかくこのことはあたしの周囲では有名な話です。平均すると3回か4回は逢わないと覚えられません。
逆に、相手はあたしのことを覚えているんですよね。あたしの記憶では一回しか逢ったことのない人でも、なぜかあたしをしっかり覚えていてくれたりします。営業職としてそれはかけがえのないアドバンテージであるとは同僚にも先輩にも他社の人にも言われますが、こちらが相手を覚えていないわけですからたちが悪いです。
それにしても、なんで皆さん、あんなに相手のことを覚えているのでしょう。もちろん、営業先の書店でこういう話になると、「自分も覚えるの苦手で、何度も来てくれる出版社の人をなかなか覚えられないんです」という方も多々いらっしゃいます。うん、あたしだけではないんだ、と勇気をもらいます。ただ、その逆に、本当に一回逢っただけなのにしっかり相手を覚えている、まさしく営業の鑑のような人も存在するのも事実で、ドラマでホテルや旅館のスタッフが顧客の顔と名前を数百人から数千人覚えているなんて設定になっていることがありますが、まさしくそれを地でいくようなすごい人がいるのも事実です。
あたしなりに、相手のことを覚えられない理由の一端は自覚しています。それは、他人に対する興味です。別に自分が大好き、自分にしか関心がないというわけではなく、ただ単に他人に興味を持っていない、他人が好きではない、という基本的な姿勢によるものです。特に業界の集まりのような場ですと、この場でしか逢うことはない、今後も仕事上で関わることはほぼないだろうという判断が働くと、相手に対する興味はほぼゼロになってしまいます。もちろん、そんな態度を露骨に出すことはしませんが、時には「二度と逢うことはないんだろうなあ」と心の中で思いながら会話をしていることも多いです。
一期一会、という言葉があります。多くの人が座右の銘にあげたりする言葉です。茶道の言葉ですよね。一つ一つの出会いを大切にする、というような意味です。でも、あたしの場合この言葉は、今回きりの出逢いだから、その場だけ適当にやり過ごせばいいや、という意味で、むしろ金輪際に近いニュアンスでとらえてしまいます。
他人に興味がないから、友人も恋人もいないわけですが、そんなあたしでも、知っている人に似た人だったりすると比較的すぐに覚えたりは出来ます。似ていると言っても、それはあたしが似ていると感じているだけで、並べてみたら全然似ていない場合も多いでしょうが、あたし的には似ていると感じる、それで十分なわけです。あとは、男性でも女性でも好みのタイプなら、やはり覚えやすいでしょうか。このあたりは世間一般の人とあまり変わらないのではないでしょうか?
ところで、よく趣味に「人間観察」なんて言っている人がいますけど、それって何が楽しいのか、と思います。人間なんて観察すればするほど嫌なところしか見えてこないものではないでしょうか?