「名は体を表わす」というように「オビはその本を表わす」という感じ?

近刊『移民の政治経済学』のオビには大きく「移民は商品ではない、生身の人間だ」と書いてあります。いまさらながら当然のことと言えば当然ではありますが、意外と忘れられがちな点なのかも知れません。奴隷貿易の時代、新大陸に連れてこられたアフリカ人ならともかく、今の時代、こんな考えはありえないと思うものの、この視点が抜け落ちていると著者は警鐘を鳴らしているのでしょう。

本書、どんな本なのか? こういった分野はからきしなので。出来上がってきた見本のページをめくってみました。その最終章、「第十章 いったい誰の肩を持つの?」の書き出しはこうです。

本書もこれで最後の章だ。そろそろ次の質問をするころだろう。結局、これまでの議論を総括すると何が言えるのか? どういった教訓を我々はこれまで学んできたのか? それらは信頼できる教訓なのか? またそれらの教訓は、我々がこれから実行すべき移民政策について、何を示唆するのか?

こういう問題提起を承け、著者は以下のように述べています。

私は本書を通じて、三つの基本的なテーマを強調してきた。

その三つとは以下のものです。

まず第一に、移民がどういった存在かについては対立する二つの見方があり、そのうちの一つは明らかに間違っている。移民は単なる労働投入、つまりロボットのような労働者ではないのだ。…(略)…受け入れ国の社会的、政治的、文化的な側面に影響を与えることのない存在ではないのだ。

(略)

第二に、移民の経済効果に関して多くの実証研究があるが、それらは将来の移民の流入がどのような影響をもたらすかを予測する上で役に立つ単純な公式を与えてくれるわけではない。移民をロボットのような労働者と見なさず人間として見たとき、社会で何が起こるかは移民を受け入れる地域の政治的、文化的、経済的な環境に左右されるということを、我々は認めなければならない。

(略)

最後に、移民のように政治的な論争の対象になる問題に対する専門家の意見には、懐疑的になる方が賢明だ。移民受け入れは「我々全員にとっていいことだ」という学界の通説は影響力が強いため、具体的にどのようにして移民の影響に関してある結論が導き出されたのか、細部まで注意深く調べることは必要不可欠だ。

うーん、なかなか面白い論議です。ここを読むと本書のスタンスと言いますか、どういうところを問題としている本なのかがうっすらとわかるようです。

このところ移民に関する書籍はたくさん出ています。文化的なアプローチや政治的なアプローチの本もありますが、本書は経済学的なアプローチになるかと思います。これらを集めればフェアでもやっているかのような状況ですが、移民に関する議論に一石を投じる書となるのではないでしょうか?