カズオ・イシグロはガイブンなのか?

今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロが売れています。昨日の営業回り、ようやく重版分が入荷したようで、お店の一等地に並んでいるのを見かけました。何人もの人が手に取っていました。

  

いろいろと翻訳は出ていますが、目立つのは『日の名残り』『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』の三作品。売れているのもこの三つに集中しているのでしょうか?

お店の方に話をうかがうと、売れているのは確かなのですが、昨日入荷した冊数がかなり少なかったとのこと。あたしが回っていたのが郊外の書店ばかりだったので、そんな結果だったのでしょうか? 都心の大型店ならば十二分な量の入荷があったのでしょうか?

ここ数年、日本であまり知られていない作家、だから翻訳もあるのかないのかわからないような作家の受賞が多かったので、今年は久々に「売れる」作家の受賞で書店も活気づいているのはわかりますし、業界人としては嬉しいことだと思います。ただ、疑問に思うことも。

カズオ・イシグロはガイブンなのか?

ということです。彼が日系人であることは間違いありません。両親の仕事の関係でイギリスへ渡り育っただけで、彼自身がハーフだとかクオーターだとかそういうことはなく、血筋で言えば紛うことなき日本人です。単に、日本が二重国籍を認めていないので、英日両方の国籍を持つことができず、仕方なくイギリス国籍を選んだ、ということらしいです。

ですから、彼を日本人作家と見做し、日本人が受賞したと喜びたくなる気持ちは十分に理解できます。しかし、それと作品とは別です。ハヤカワ文庫からでている彼の作品はすべて翻訳です。どれ一つとして日本語で書かれたものではありません。作者のことを知らなければ純然たるガイブン作品です。

内容に日本的なところが見受けられるとしても、それは彼に限ったことではなく、他の海外作家にも日本を題材に書いた作家や作品は多数ありますし、中には日本人以上に日本の本質を切り取ったような作品だってあります。なので、それを持って「日本人作家」「日本人の受賞」と言うのには、なんとも言えない違和感を感じています。

ただ、今年は理系分野で日本人のノーベル賞受賞がなかったので、メディアとしてはどうしてもここに飛びつきたくなる気持ちはわかります。それに長い出版不況にあえぐ業界としても、「日本人が受賞」と謳った方が本がよく売れることも事実でしょう。

問題はそこです。

過去のノーベル賞、等し並みに語ることはできませんが、受賞のニュース、そして書店からの注文殺到、という流れは同じですが、その後実際にどのくらい売れるのか、売れたのかと言いますと、実はそれほど芳しいとは言えません。もちろん、ノーベル賞がなかったらまるで売れていなかった作品が再び売れたという点では喜ばしいのですが、作りすぎて大量の在庫を抱える羽目になった、というのでは却ってマイナスです。

ノーベル文学賞の場合、作品ではなく作家に与えられるので、今回のカズオ・イシグロのように翻訳がいくつも出ているものでは、それをどのくらい増刷するか、早川書房は悩んだことでしょう。ガイブンだと、とりあえず一冊は読んでみようという読者はそれなりにいると思います。その点はさすがノーベル賞です。しかし、一冊読んだ後にもう一冊、と手が伸びるかどうか、というところが判断の難しいところです。

あたしからすると、作品が面白いか否かが肝心なのであって、日本人作家だからとかガイブンだからというのはほとんど判断材料にはなりませんが、実際の売れ行きを見ていると日本人のものと海外のものとでは、そのあたりに顕著な差ができるものです。ガイブンは一定のガイブン好きが手に取ったらパタリと止まる、というのが過去のデータから見えてきます。

いや、日本人作家のものでもさほど変わらないのではないかという意見もあるでしょうし、そこまで実証的なデータを持っているわけではないので断言はできませんが、あえて言うなら、翻訳権がない分、相対的に日本人作家の作品は安く、従って読者からすれば買いやすい、ということは言えます。

さて、カズオ・イシグロです。しばらくは売れ続けると思いますが、一か月か二か月、そうですね、正月休みに読もうという方も多いでしょうから、年末くらいまでで実売がどのくらい伸びるのか、業界的にも楽しみであります。しかし、文庫本なので、売っても売っても利益は薄いでしょうね(涙)。