履歴書代わりの暇つぶしエッセイ
暇つぶしエッセイ
第3回 大学1年次
めでたく東洋大学に入ったわけですが、1年生の時はそれほど中国哲学の授業は多くありませんでした。一般教育の授業がかなりあり、こういったものを取りこぼすのはあとあとバカらしいと思い、とりあえずきちんと出席して単位確保を目指しました。
中国関係の授業は中国語と中国哲学・中国文学・概論の授業がそれぞれ週1回ずつでした。これもこの数年でカリキュラム改変があり、だいぶ違っているよう です。概論は担当の先生が論語の中から「仁」が出てくる部分を書き出したプリントを作ってきて、それを講読しながら「仁」について考えるというオーソドッ クスな講義形式の授業でした。
哲学・文学のそれぞれ1コマはどちらも哲学・文学という名称はあるものの、訓読の訓練と文献の扱い方を身につけることを主眼にした授業でした。教材は哲学が「論語集注」で、簡野道明氏が校訂しものです。文学は「孟子集注」の「序」でした。
本文自体はそれほど難しいものではありませんでしたし、もともと漢文が好きだったので苦にはなりませんでした。しかし注の方はかなり苦労しました。なに せ高校時代の漢文には「注」などというものは存在しません。この場合の注とは小説などの巻末にある語釈などや事項注ではなく、漢文の本文の間(途中)にあ る、割書きのものです。いわゆる「割り注」というものですが、こういうものの存在を初めて知ったので新鮮な驚きと共に、なんか面倒くさいなあというのが正 直な感想でした。
この割り注にはいろいろな古典が引用されています。中国人の古典に対する註釈態度というのは、自分の考え・意見を直接書き表わすのではなく、自分の意見 を代弁してくれる古典の言葉を引用するというものなので、古典の引用が多くなるのです。もちろんそれだけではなく、本文と同じことを言っているとか、本文 と同じ語句が使われているというだけで引用されているものもあります。そういう引用書を一つ一つ丹念に原典に当たって、引用文が間違っていないかチェック するのです。何のためにそんなことをするの? というのは中国哲学を学び始めた学生が等しく感じる疑問だと思います。私も初めはそう思いました。特に同じ 語句を使っているだけで引かれているときなどは、その思いがいっそう強くなります。しかし果たして同じ語句だから引用したのかどうかを見分けるには、引用 書の原典チェックという作業を繰り返すことによって身に付くものであり、その意味では大切な作業だったと思っています。それに特に1年生にとって重要なの は、この作業を通じていろいろな書物に接する機会が増えるということです。接するにはその古典を探し出さなくてはなりません。その本がどこにある かを探すのは結構楽しい作業です。この場合、「どこにあるか」というのは「図書館にあるかどうか」という意味もありますが、時には現在も残っている本かど うかということを確認する作業も入ります。中には長い歴史の流れの中で失われてしまった古典もたくさんあります。そういう本の場合は確認すべき原典という ものがありません。でも「もうその本は失われてしまっている本だ」ということを確認するだけでも大きな収穫です。
ここでもう少しまとめておきますと、註釈には今述べたように、同じ語句が使われているから引用しました、というような全く無駄と言えるような註釈と、本 文をより深く理解するために大変有意義な註釈の2種類が存在します。後者の場合にも、外見上は似た語句が含まれる他の古典の一節が引用されていることが多 いのですが、その引用書の引用された部分のさらに前後を読むことによって、どういう文脈の中で、いま問題となっている語句が使われているのかがわかり、そ れが原文の文脈と合うか合わないか、そういうことを吟味しながら読むことを学ぶのです。
なお付言しますと、註釈にはもちろん地名や人名などに、もう少し詳しい情報を付け加える、現在我々が言う「注」もありますし、引用なんかせず自説を述べ るタイプの註釈もあります。さらに幾つかの引用を並べて、特にその引用で述べられている意見が割れている場合など、それらについて自分はどの意見に賛成す る、という結論を述べている場合もあります。
ここまで述べてきたことを振り返れば、時代が下がるにつれて古典の蓄積が増えますから、引用できる古典も増えるということはおわかりになると思います。 つまり唐の時代の註釈よりも清の時代の註釈の方がより多くの引用がある、ということが平均して言えます。ですから授業で先生が指定したテキストが比較的最 近の注釈書であると、引用書調べが予習の中で大きな割合を占めることになります。これも原文の理解のためには一長一短です。慣れてくればいちいち原典を見 なくても構わないような引用書もわかってきますが、そういうことをここで書いてはちょっとまずいですね。
(第3回 完)