ここに掲載したのは、私が中国へ行った時に集めた(捨てずにとっておいた?)領収書や入場券をまとめたものです。「中国写真帳&旅行記」にも書いてあるような中国旅行体験ですが、比較的まめにそういったものを取っておいたので、今振り返ってみると、図らずも中国の物価推移のようなものが見えてきます。ただ、物価とは言っても観光地の入園料や外国人向けの工芸品の値段ですから、純粋に庶民の物価として考えることは出来ないでしょう。 なお必ずしも毎回の入場券が残っていないので、金額がわからず記載しなかった場合もあります。また手元にある半券には料金が記載されていないので、今となっては金額を推測しようのないものもありますので、そういったものは省きました。 |
日 付 | レート | |
1988.2.20 | (T/C)2855.74 | 1元=35.0円 |
1988.3.9 | (T/C)2904.36 | 1元=34.4円 |
1993.12.23 | 5068.31 | 1元=19.7円 |
1995.12.11 | 8162.38 | 1元=12.3円 |
1995.12.15 | 7954.44 | 1元=12.6円 |
2000.1.2 | (T/C)8076.70 | 1元=12.4円 |
2000.1.5 | (T/C)8108.80 | 1元=12.3円 |
2000.1.7 | (T/C)7929.50 | 1元=12.6円 |
2002.12.27 | 6811.30 | 1元=14.7円 |
2002.12.30 | 6835.80 | 1元=14.6円 |
2003.12.26 | 7695.00 | 1元=13.1円 |
2004.12.16 | (T/C)7920.10 | 1元=12.6円 |
2004.12.18 | 7829.60 | 1元=12.8円 |
2004.12.21 | ? | 1元=12.7円 |
2007.2.8 | 6261.1 | 1元=16.0円 |
2007.2.9 | 6236.3 | 1元=16.0円 |
2007.2.13 | 6138.8 | 1元=16.3円 |
2007.2.13 | 6150.7 | 1元=16.3円 |
日 付 | 金 額 |
1992年10月 | 8元 |
1993年12月 | 45元 |
1995年12月 | 55元 |
2000年1月 | 30元 |
2003年12月 | 40元 |
日 付 | 金 額 |
1992年10月 | 0.3元 |
1993年12月 | 0.3元 |
1995年12月 | 0.3元 |
2000年1月 | 2元 |
2003年12月 | 2元 |
日 付 | 金 額 |
1995年12月 | 10元 |
2000年1月 | 10元 |
2007年2月 | 15元(そのうち永安寺が10元) |
日 付 | 金 額 |
1993年12月 | 15元 |
2000年1月 | 14元 |
2004年12月 | 30元(聯票の価格;門票は10元) |
日 付 | 金 額 |
1992年10月 | 4元 |
1993年12月 | 10元 |
1995年12月 | 10元 |
2000年1月 | 20元 |
2003年12月 | 25元 |
日 付 | 金 額 |
1995年12月 | 0.5元 |
2000年1月 | 1元 |
日 付 | 金 額 |
1988年3月 | 0.3元 |
1992年10月 | 0.5元 |
1993年12月 | 0.5元 |
2000年1月 | 2元 |
2002年12月 | 3元 |
2003年12月 | 3元 |
2004年12月 | 3元(乗継は4元・5元も) |
2007年2月 | 1号線、2号線のみは3元。 八通線への乗り継ぎは4元。 13号線への乗り継ぎは5元。 |
1988年2・3月 |
この北京旅行は旅行ではなく、短期語学研修に参加したものです。従いまして故宮をはじめとした主要な観光地はすべて留学先の先生の引率でしたので、切符などがあまり残っていないのです。 ですから手元の資料を眺めてみますと、友誼商店などのレシートがほとんどです。そんななから少し拾ってみますと、ある晩、留学仲間2人と一緒に3人で国際倶楽部へ行きました。別にそこが目的だったわけではなく、友誼商店へ行ったついでに、食事をしに立ち寄ったわけです。レシートでは「82元」という金額が表示されています。お茶が3元、食品61元で、文字が判読不能なのですが「?料」というのが18元です。たぶんサービス料じゃないかと思います。 その帰りは留学先の北京外国語学院(西三環北路)までタクシーでしたが、それは「13.6元」です。乗り物と言えばバスの半券が残っていますが、みな「1角」「5分」「1角5分」です。 食事では、帰国前に、そうだ中国で日本食を1回くらい食べてみてもいいんじゃない、ということで建国飯店の中鉢という店に行きました。この時は天ぷら定食みたいなものを食べたと記憶していますが、一人「29元」でした。3人で服務費が入って「95.7元」です。ちなみにこの建国飯店は別な日にお茶を飲みに来たことがあるのですが、コーヒーが「5元」です。 卒業旅行として洛陽・西安・上海・蘇州を回りましたが、最後の晩に上海の和平飯店南楼の上にあるレストランで食べた洋食は2人で「151.2元」でした。食事が125.5元で、ワインが12元、服務費が13.7元となっています。 最後に上海空港の使用料が「15元」でした。 |
1992年10月 |
これは一人で行った北京旅行で、途中3日ほど上海へ行きました。上海では恩師が交換教授で行っていたのを利用して、復旦大学のゲストハウスに泊めてもらいましたが、1泊「90元」でした。 帰りの復旦大学から虹橋飛行場までのタクシー代は「56.4元」で、この時は空港周辺が大渋滞で、またタクシーの運転手が私の飛行機の時間を1時間勘違いしていて(私の発音が悪かったのか?)、「もうだめだ、間に合わない、申し訳ない」としきりに謝ってくれたのを今でも覚えています。もちろん私が飛行機の時間まであと1時間あるから大丈夫と言うと元気百倍になって運転を始めましたが…。上海から帰って北京空港から新僑飯店までのタクシー代が「88元」です。やはり北京空港は遠いです。 ちなみ北京→上海の飛行機が「490元」、上海→北京が「637元」です。帰りが高いのはファーストクラスに乗ったからです。 |
1993年12月 |
これは先輩と行った北京旅行ですが、地壇公園内にある蝋人形館が「3元」でした。これはとんでもない所でした。ある意味で一見の価値があります。 頤和園は「25元」、宋慶齡故居は「3元」でした。 |
1995年12月 |
これは友人と行った北京旅行で、宋慶齡故居は「10元」になっていました。北京古観象台は「10元」、恭王府は「5元」です。その他の参観場所としては郭沫若故居、茅盾故居がどちらも「2元」でした。 この時は蘆溝橋へ行きましたが、その参観料は「6元」で、橋のすぐ近くにある中国人民抗日戦争紀念館の入館料は「12元」です。 飲食関係では、友誼商店1階にあったレストラン「百老匯」に入りましたが、コーヒーが12元、スパゲッティが36元、サービス料が14.4元で、2人でしめて110.4元でした。 |
2000年1月 |
これは母と妹を連れて行った北京旅行ですが、北京動物園の入園料が「7元」でした。頤和園の入園料は「30元」で、動物園から頤和園までのバスが「2元」です。観光地などであちこちにある収費厠所はどこも「0.3元」でした。 北京飯店1階の喫茶店でお茶を飲みましたが、コーヒーが「20元」でした。新僑飯店上のレストランで食事をしましたが、3人で合計「189.4元」でした。これにはジュース、ビール、料理6皿が含まれます。 帰りの北京空港使用料は「90元」でした。 |
2002年12月 |
これは母と妹を連れて行った北京-西安-上海旅行です。国内線の空港使用料は「50元」でした。天安門の入場料は「15元」で、圓明園の入園料は「10元」です。 西安では大慈恩寺(大雁塔)の入場料が「20元」でした。碑林博物館は「30元」、城壁は「10元」、でした。 上海では豫園の入場料が「25元」、東方明珠塔は最上層までで「100元」でした。 国際線の空港使用料は「90元」でした。 |
2003年12月 |
これは母と妹を連れて行った上海・蘇州・北京旅行です。前門の入場料は「10元」、鐘楼は「15元」、宋慶齢故居の入園料は「20元」でした。 国内線の空港使用料は「50元」、国際線は「90元」でした。 |
2004年12月 |
これは母と妹を連れて行った北京・上海・杭州旅行です。ろ溝橋の抗日戦争記念館の入場料は「15元」、肝心の橋は「10元」でした。白雲観の入場料は「10元」でした。 その他、いろいろ買い物をしましたが、大きな値上がりこそ感じないものの、でも、ずいぶん高くなってきたなあと感じもしました。ただ、例えば一昔前なら中国人には高嶺の花だったマクドナルドなど日本と比べても値段に大差のない店に、中国人がずいぶんとたくさん入って食べているのに驚きました。 |
2007年2月 |
母と妹を連れて行った西安・北京旅行です。陝西省歴史博物館の入場料は「35元」、大興善寺の拝観料は「10元」、小雁塔の拝観料は「18元」で、小雁塔に登るには更に「10元」が必要でした。阿房宮遺跡は入園料が「38元」で、ショーなどのオプション付だと「50元」になります。 華清池はシーズンオフだということで「40元」、兵馬俑博物館は「65元」、始皇帝陵は「20元」でした。 北京の鼓楼は「20元」、北京動物園は「15元(パンダ館の入園料も含め)」でした。 |