2008年8月17日

希望? 妄想? あるいは悲観?

ニュースでお盆休みの様子なんかが流れています。

 

夏の海に来ているカップル。花火大会に繰り出すカップル。

 

どうしてこういったニュースの時に流れるのは若いカップルが多いのでしょうか? それとも、あたしが気にしすぎているから多く感じるだけなのでしょうか?

 

でも、最近はだいぶ、この手の映像に離れましたし、心の平穏を乱されることも減りました。このところ心の平穏をかき乱すのは家族の映像です。それも若い夫婦と小さい子供なんかの映像です。

 

テレビのコマーシャルも含め、お盆を海外で過ごしてきた家族連れが、なんてニュースですと若い夫婦に子供というパターンが多いなあと感じます。というか、そういう映像にばかり反応してしまいます。ちょっと、そこらへ出かけても、そういう家族連れや若い夫婦に目がいってしまいます。

 

なんか子供や赤ん坊を連れた夫婦を見ていると、すごく幸せそうで、まさしく絵に描いた幸せな家庭っていうオーラが漂っている感じがします。

 

で、気づくと、というかわが身を振り返ると、そこにいるのは冴えない中年になっているあたし。もう、どんなに頑張ったって、あんな爽やかな家族を作ることって無理なんだよなあ、としみじみ感じます。

 

だって、何年か前(かなり前?)までは、そういう夫婦を見ると「同い年くらいかな、もしかして年下かしら?」という感覚だったのが、今では間違いなくあたしより、かなり年下の夫婦ばかりだからです。

 

ああいう爽やかで幸せそうっていう感じは、錯覚かもしれませんけど、やはり「若さ」に付随するものだと思うのですよね。そうなると、あたしはもう既にふるい落とされてしまっているわけで、どう頑張っても、逆立ちしたって実現しっこない情景なわけだと思い知らされるのです。

 

そりゃそうですよね。今どきの初婚年齢の平均がどのくらいか知りませんが、まあ27歳か28歳だとして、結婚して1年か2年で子供ができたとしたら、その子はもう中学生くらい。実際、あたしの勤務先の同期には今年中学生になった子供を持っているのもいます。

 

そこまではいかなくとも、ふつうに考えたって小学校の中学年か高学年の子供はいるでしょう。そうなると、あたしなんか本来なら、上に書いたような爽やかで幸せそうな時代はとっくの昔に通り越して、子供の受験やなんやかやに苦労の絶えない時期にさしかかっているのが、あるべき姿のはずです。

 

そうそう、たぶん娘だったら口も聞いてくれなくなるような年頃になっているはず。息子だったら自分よりも背が高くなっている頃でしょうか?

 

そうなっていないといけない年齢なのに、いまだにふらふらと独り者で、なおかつ一人暮らしをしているわけでもなく母親と暮らしていますから、食事、洗濯、掃除などの心配は皆無。のんべんだらりと過ごしてきてしまったわけですよね。

 

そういう自覚はあるのですが、そういう自覚があるからこそ、結局結婚相手って「母親に何かあった時に代わりに身の回りの世話を焼いてくれる人」って感じになってしまって、それってつまり家政婦じゃない、ということになり、それじゃ相手に失礼だし申し訳ないとわかっているから結局結婚もできない(しない?)でここまで来てしまった分けなんですよね。

 

ふつうに恋愛できる人が羨ましいものです。

 

例えばよく言われるのが、毎日のように書店を回っているのだから、本屋にいいなあと思うタイプはいないのか、というセリフ。

 

でもねえ、もしうまくいかなかったら、もうその書店に行きづらくなっちゃうじゃないですか。それはまずいですよ。実はこの業界、出版社の営業と書店の人っていうカップルは意外と多いらしいんですが、よくも皆さんそんなリスクを乗り越えてきたなあと感心しきりです。

 

みんな自分が嫌われるってことは予想しないのでしょうか? あたしの場合、小学生の頃からクラスで嫌われ者で、友達らしい友達もいない子供時代を過ごしてきたので、人から好かれる自信がありません。(嫌われる自信ならあり余ってます!) 今のような陰湿なイジメがまだなかった時代なので救われましたが、今みたいな時代のイジメだったらあたしもどうなっていたか......

 

ただ、自分でも自分の性格って嫌いでした。もしあたしがあたし以外の誰かだったとしたら、あたしなんかと友達になりたくないと思うほど自分が嫌いです。自分の性格の悪いところを誰よりも知っているので(そりゃそうだ、自分なんだから)、絶対こんなやつとは友達になりたいとは思いません。

 

そんな人間が人から好かれるわけはないじゃないですか。仕事では、書店に行ったって、相手も仕事ですから表面上は愛想よく接してくれますが、たぶん、もう少しあたしのことを知れば絶対嫌われる自信があるんですよね。

 

 

 

嗚呼、ニュースとかで幸せそうな家族を見たりすると、どうもネガティブになりがちです。

 

2008年8月14日

一瞬でジャッジ?

昨晩は、近所の酒屋で買ってきた「二鍋頭酒」という中国酒を飲みながら、ボケーッとテレビを見ていまして、なんとなくTBS系の「テッパンノート」を見ておりました。

 

と、その前に「二鍋頭酒」ですが、これは中国北京の庶民の酒です。

 

いや、最近はそうでもなくなっているのでしょうか? でも北京へ行くと必ずミネラルウォーターなどをスーパーへ買いに行き、「二鍋頭酒」も買いますが、やはり安い方に入りますね。

 

十年くらい前は65度なんて度数のものが売っていたのですが、このところ60度を超えるものはほとんどスーパーでは見かけなくなりまして、近所で買ったのも北京でよく見た「五十六度」です。

 

これを割らずに飲むのですが、喉が焼ける感じで気持ちいいです。ただ、やはり日本で飲んでいても美味しくないですよね。やはり北京で、羊肉のしゃぶしゃぶなどを食べながら飲まないといけません。

 

十年ほど前のことですが、北京大学へ大学の研究会の調査旅行で伺いました。北京図書館と北京大学図書館の貴重な蔵書を、北京大学の先生の案内で閲覧し、校内の食堂でお昼をご馳走になりました。

 

冬本番ではありませんが、もう晩秋は過ぎ、冬に入っている時季でしたので、メニューはもちろんしゃぶしゃぶでした。ビールで乾杯したのはいいのですが、その後はこの「二鍋頭酒」が次から次へと出てきて飲まされました。

 

小瓶というかミニ瓶みたいな形のものもあって、どれくらい飲んだか覚えていません。ビールがチェイサーに感じられるほどの衝撃でした。でも、本場の北京でしゃぶしゃぶと一緒に飲むと、これがまた格別のおいしさなんですよね。

 

たらふく飲み食いさせていただいて先生方が門のところ、タクシー乗り場まで送ってくださったのですが、市中心部のホテルまでの道中、あたしは完全に車の中でグロッキーでした。夕飯もほとんど食べられず、ホテル内の日本食堂でうどんをすすった程度でした。

 

しかし、しかし、さすがに蒸留酒! 夜の10時くらいを回ったところで、途端に元気になりました。すっきりとアルコールが抜け、気分も爽快、ものすごくさっぱりとした気分です。よく「この酒は翌日に残らない」といいますが、翌日ではないんですが、そういう現象を実感した次第です。

 

とまあ、そういう素敵な想い出にあふれた「二鍋頭酒」ですが、日本ではなかなか手に入らない酒でした。横浜の中華街とかへ行けば売っているという話は聞いたことがありますが、青島ビールとか、紹興酒とか茅台酒といった海外に名を知られた銘酒と違い、まったく安い庶民の酒では、わざわざ金をかけて日本へ運んでも元が取れないのでしょう。

 

でも、最近はこうやって比較的気軽に手に入るようになりましたよね。うれしいことです。

 

 

さてさてようやくテレビのこと。テッパンノートです。

 

昨日は失恋ばかりして、男ができない女と題して、歌手の小林幸子とか南海キャンディーズの静ちゃんなどが登場していました。まあ、内容はたわいもない恋バナ、それもモテナイ話なんですが、そのやりとりの流れの中で、司会の島田紳助が「男は町を歩いていても目に入った女性を、これは抱ける、これは抱けない、と一瞬でジャッジしているんだ」という発言をして、女性ゲスト人が驚いていたのが印象的でした。

 

はあ、そんなもんですかね。抱ける、抱けないというのは大袈裟としても、比較的第一印象で決めてしまうというのは男性にありがちな傾向ではないかと思います。

 

で、ずいぶん前に見たテレビを思い出しました。どんな番組だったか、そして誰の発言だったかも覚えていないのですが、男性と女性の恋愛観の違いに関する意見です。

 

それは、男と女の気持ちの変化は引き算と足し算だという意見です。つまり男性は「この子いいなあ」と思った最初が最高点で、あとは時間の経過とともに「こんなところがいやだ」「ここが気に入らない」と引き算していくものである。その反対に女性は最初にあった時にそれほどだと思わなくてもつきあっていくうちにだんだん「こんな素敵なところもある」「ちょっといいなあ」と好意が足し算されていく、というものです。

 

昨晩の番組でもほしのあきが「最初はすんごい嫌いだった人でも、後から好きになることがある」と発言し、他の女性ゲスト人が皆大きくうなずいておりました。

 

ああ、そういうものなのか、と感じつつ、かつて見たテレビ番組のあの意見は、けだし至言だったのだと思い直した次第です。

 

2008年8月10日

婚姻届

少し前に話題になって、朝日新聞などにも小さく記事が出ていましたが、中国ではこの8日の婚姻届提出が過去に例を見ないほどの数に達しているそうです。

 

今日は10日ですから、「達した」と書いた方がよいのかもしれませんが、8日をさかのぼること数日前の記事では、少し前から受付予約を市内の数か所で始めていたそうですが、08年の8月8日と末広がりが3つ揃い、なおかつ中国の国家的悲願、オリンピックの開会の日に重なるというわけで、その日に結婚しようというカップルが殺到したそうです。

 

まあ、オリンピックも、この縁起のよい数字の並びに合わせて開会式を設定したわけですし、ご丁寧にも開会式の始まりは午後8時(これじゃ20時じゃん、だったら午前8時にすればいいのに、と言わないでおきましょう)にして、あくまで8を揃えたわけですよね。

 

そのくせ、あの鳥の巣、9万人ちょっとの収容人数だそうですね。8万8千人にして、やるなら徹底的に8に拘りなさいよ、と言いたくなりますが......

 

ところで日本ではどうだったのでしょう? 日本も中国と同じ漢字の国。幸いにも「八」なんて簡単な字ですと日本も中国も字形も一緒なので、「末広がり」感は共通してますよね。ですから、日本でも8月8日に婚姻届を出したカップルというのは多かったのではないでしょうか?

 

ただ、日本の場合、それとは別に、たぶん「大安」とか「仏滅」とか、そういうのも気にする人が多いですよね。8日は「友引」でしたが、これってどうなのでしょう? 葬式は絶対避けますよね。道連れが出る、と言われますから。

 

なら逆に結婚にはもってこいの日ではないでしょうか? それに8の末広がりが重なったわけですから、日本でも増えたというような報道が、小さく新聞の片隅にあってもおかしくはないと思うのですが、あたしは見てないですね。あまり関係なかったのでしょうか?

 

ところで北京では予約受付が北京市内の数か所で行なわれたとありましたが、一年以内に相手を見つけてくるから婚姻届出させてもらうなんて無理なんでしょうか? そうでもしないと、あたしはこのまま一生結婚できないのではないか、と思う今日この頃です。

 

先日もある書店で若い書店員の女の子に、「もう結婚しないと達観しているのだと思ってました」と言われてしまいましたよ。すんごいショックです。

 

2008年4月27日

子供、子供、子供......

この金曜日の晩に、同業のちょっとした飲み会があったということは既に書きましたが、二十名弱のほぼ同じような年齢の人間が集まったわけでして、恐らく、あたしなんかが一番年上だったのではないかと、今になってみると、そう思います。

 

それなのに、たぶん出席者のほとんどは既婚者で、あちらのテーブル、こちらのテーブルで「息子さん、もう中学生?」とか「お嬢さん、いくつになった?」といった会話が乱れ飛んでおりました。

 

そうです。年齢的に考えれば、中学生になるような子供がいたって全くおかしくないんです。今年41ですから、30で生まれたとしたって11歳、もし25くらいで子供ができていたら、中学生はおろか、もう高校生になっているわけですよね。

 

うーん、すごいわ。時の流れって残酷。

 

あたしなんか、もうしつこいくらいに書いてますけど、いまだ独身。恋人の影すら見えない、気配すら感じない状態が41年続いているわけですから、子供の話なんて言うに及ばず、まずはその前段階から何とかしないとならないわけです。

 

でも、奇跡が起こって近い将来結婚できたとしても、それから子作りでは、子供が聖人の時にはもう60歳。定年延長制度が進んでいなければ定年ですね。順調にいっても大学卒業は22歳ですから、子供が社会人になるのに2年から3年の無職(無収入)家族ができてしまうわけですね。

 

それでも、それは最初の子供の話で、やはり一人っ子はかわいそう、となってもう一人か二人子供をもうけたとしたら、それこそ、下の子はまだ高校に入ったばかりだというのに、親は定年退職してしまいました、なんて事態が確実に現実になるわけですね。

 

嗚呼、恐ろしい未来です。なんの夢も希望も持てなくなります。周りが子供の話とかしていると、どうも一人ぽつねんと置いてきぼりを食ったような気になってしまいます。

 

否、置いてきぼりだったら同じ道を途中までは一緒に歩いてきたわけですよね。今のあたしの心境は最初から同じ道なんて歩いていなかった、よって達場所が本質的に異なっている、という感じなんです。

 

こうなると、やはりこれも何度も書いていますが、既に子供を抱えているバツイチの女性と結婚するのが、現時点では最良の選択なのではないかと思われます、はい、心底そう思います。

 

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