2008年8月19日

北京で見たジミー・ペイジ?

帰宅して朝日新聞の夕刊を開くと、真ん中あたりのページ「be」が、今回は「灯台」特集でした。俳優の加藤剛さんも登場で、「喜びも悲しみも幾年月」ですねえ。

 

人気の灯台、第一位は犬吠埼ですか。もう何年も前に家族旅行で行った覚えがあります。銚子って、天気予報を見てますと、ああいう海に突き出た土地柄なのか真夏でも気温が低いですよね。銚子電鉄は頑張っているのでしょうか? またぞろ、灯台見物に銚子まで行きたくなりました。

 

それはそうと、最近の朝日新聞の夕刊、ページ立てが気になります。

 

ふつう、新聞ってのは基本は二つ折りですよね。だから、かならず4の倍数のページになるわけです。でもそれでは収まりきらない時は、真ん中に1枚だけ挟んで、もう2ページ追加になったりすることもあります。

 

この追加の2ページ、ページ立ての基本に照らせば、真ん中に挟むのが大原則なんですが、最近の朝日新聞は、あえて真ん中のページを外して、その前の折り目のところとかに1枚を挟んでいることが多いのです。

 

なんなんでしょう?

 

真ん中に見開き2ページを使った広告があるわけでもないのに......。不思議です。

 

 

 

おっと、閑話休題。

 

パソコンを立ち上げて、さらにブラウザを立ち上げて、ふと目に入ったMSNのニュースに目が釘付けになりました。

 

北京五輪閉会式にジミー・ペイジ登場!

 

 

ちょっと、マジですか? たぶんガセでしょうね? わざわざ北京までジミー・ペイジが来るかしら? そしてステージに上がるかしら? そう思いますよ。

 

でも、本当に来たら、あのエリカ様も北京に向かうのでしょうか?(爆)

 

 

北京でジミー・ペイジと言えば、数年前に家族で訪中した折(もう何度も訪中しているので、何年の訪中か忘れました)、頤和園から、なんと前門までバスで移動したことがありました。

 

観光バスとかではありません。全く北京の市民の足、路線バスです。たぶん、1時間半くらいは乗っていたと思います。今よりは北京市内の交通渋滞も激しくはなく、それほど長かったような記憶はなく、むしろ車窓からの風景を、ワクワクしながら眺めていた想い出しかありません。

 

バスのルートは、うろ覚えなんですが、北京大学から学院路、そして積水潭から南下して西四、西単経由で前門だったと思います。このルートの路線バスが今もあるのかどうかは知りませんが、とにかくそんなあたりを走りました。

 

特にワクワクしたのは積水潭から西四まで、たぶん新街口界隈です。とにかく北京の街の活気と猥雑さ、並んでいる商店のおもしろさがたまりませんでした。家族がいなければ、降りてゆっくり歩きたいくらいでした。車窓から見ているだけでは何の店なんだかわからない店が何軒もあって、非常に興味をそそられました。

 

そんなワクワクしながら見ていた町並みなんですが、そんな商店の一軒に楽器屋だったかCD屋だったかがありました。楽器屋なのかCD屋なのか覚えていないのは、その店の看板があまりにも強烈だったからなんです。

 

どんな看板かというと、お店の正面2階部分っていうのでしょうかね、そこが大きな看板になっていて絵が描かれていたんです。どんな絵かというと、アメリカなどのロックミュージシャンです。もちろん本人や事務所の許諾なんか受けずに描かれていたと思います。

 

いやー、共産国の中国で、これだけデカデカとアメリカのロックミュージシャンが描かれた看板がある、というのに心の奥底で感動していたんですが、何人か描かれているミュージシャン、それなりに知っている顔がありました。

 

たぶん店の名前が真ん中に大きく書かれていたんだと思いますが、その両側には、なんとスタンドマイクを構えたロバート・プラントとダブルネックギターを構えたジミー・ペイジが大きく描かれていたんです。

 

おお、ツェッペリンだー、と思った刹那、違和感を感じました。なんか変だぞ?

 

で、すぐに気づきました。

 

なんとジミー・ペイジが左右反対にギターを構えていたんです。これじゃあ、ポール・マッカートニーじゃん、と思いましたが、たぶん何かの写真でも見ながら描いたんでしょうけど、その写真が左右逆に焼いてあったのではないかと思います。

 

しかし、ツェッペリンを知ってれば、あるいは左利きのプレーヤーは稀少だと知っていれば、そしてそもそも描いた人がギターを弾いたことがあれば、ギターの持ち手くらいすぐに気づきそうなものですが、あんなに堂々と左右逆に描かれているとは......

 

ロバート・プラントとジミー・ペイジはその看板のメインであるかのように、左右に一番大きく描かれていましたから、すんごく目立ちますし、知っている人間から見たら噴飯ものの滑稽さでした。

 

 

さてさて、この店が今も新街口界隈にあるとは思えませんが、まだあの看板を出したままあるのなら是非もう一度拝んでみたいですね。そしてジミー・ペイジが本当に閉会式に登場するのなら、閉会式はいいから、その店の看板を見に行って欲しいと思うあたしです。

 

2008年8月18日

本来の力を出し切れなかった?

五輪のニュースで、成績がふるわなかった日本人選手に対し、アナウンサーや解説の人などが異口同音に「本来の力が出し切れませんでしたね」と言ってますが......

 

本当にそうでしょうか?

 

例えば、コンスタントに世界記録だとかそれに準ずる記録を出していた選手が、例えば平泳ぎの北島選手などが8位や9位くらいに沈んだのなら「本来の力を出し切れなかった」というセリフもわかります。

 

 

でも、その人のベストタイムがなんとかベスト5に入る程度の記録で、それも出したのは一回こっきり、かなり前のこと、となると、果たしてその選手の<本来の力>って奈辺にあったのでしょうか?

 

週刊誌などでは盛んに書かれていますが、やはりテレビ局を中心に、さもメダルが取れる、確実だという、視聴率をとるため、テレビを見てもらうための「煽り」ってのがいけないのでしょうね。

 

2008年8月15日

いつまで......

終戦記念日です。

 

かつて「敗戦」と言わず「終戦」と呼んでいることを問題にしている新聞だったか週刊誌だったかの記事を読んだことがありますが、当時の人の意識としてはどうだったのでしょう? 「ああ、終わった」と思ったのか、それとも「負けてしまった」と思ったのか......

 

それはそうと、以前にも書きましたが、あたしの親類には太平洋戦争、日中戦争、それらをひっくるめた「アジア・太平洋戦争」で亡くなった人ってのがいません。父方、母方どちらを見回しても戦争に行った人もいなければ、戦争(空襲など)で亡くなった人もいないんです。

 

住んでいた地区、年齢、そういったいくつかの偶然が重なって生まれた幸運だと、素直に感謝しています。だからなのかもしれませんが、あの遺族会とかそういった人たちが、毎年のように揃って靖国神社へ参拝に行くのが異様な光景に感じます。

 

おじいちゃんが祀られているから、という素直な感情なのでしょうけど、ああやって世間や政治に圧力をかけるかのように集団でやられると、どうも胡散臭さが漂ってきて、どうもなじめないです。それでもごくごく一般の遺族の方の場合はまだいいのですが、国会議員の参拝はどうみても異様に感じてしまいます。なんでみんなで揃っていかないといけないのでしょう? そこが故人を偲ぶという感覚と、ものすごく不釣り合いな感覚を覚えます。

 

ところで戦後ももう60年以上がすぎました。戦争の記憶を風化させない、二度とあのような悲劇は繰り返さないというのはわかりますが、当時を生き延びた人にああだった、こうだったという話を語らせてばかりでは、いつまでたっても客観的な歴史にはならないと思います。

 

実際問題、まだ存命の方が大勢いらっしゃるわけですから歴史になるには早すぎるのかもしれませんが、そういう方々の断片的な記憶に頼っている限り、客観的で公正な歴史には成り得ないのだろうとも思います。

 

個人的には、いい加減、朝日新聞なんかがやっているような「戦争を語り継ぐ」みたいな企画はそろそろ卒業して、もっと歴史検証に比重を移していくべきではないかと思うのですが......。そして毎年夏の甲子園で終戦の日に、一時プレーを中断して黙祷するような滑稽な儀式も止めるべきだと思うのです。

 

ふつう家族が亡くなっても、33回忌かせいぜい五十回忌くらいまでしか法事だってやらないでしょう? なんで60年以上も経って延々続けているのかわかりません。

 

2008年7月21日

「ポ」が流行る?

耳にこびりついて離れない、と会社の友人に言われるまで知らなかった「ポニョ」ですが、この三連休で、宮崎アニメの新作だということ、魚の子供が主人公の映画だということを知りました。そして、「ぽーにょ、ぽーにょ、ぽにょ、魚の子」と主題歌が人気急上昇だということも!

 

耳にこびりついて離れない、ということはないですが、まあ、人気になりそうな曲ですよね。

 

パピプペポの発音というのは非常に幼児的な音声ですが、今年はこの「ポニョ」の少し前に「ぽ、ぽ、ぽ、......」とポばかりの曲、鼠先輩の「ギロッポン」もヒットしたというか、これまた耳にこびりついて離れないと言われましたよね。

 

あともう一発、「ポ」がフィーチャーされた曲がヒットしたら、今年のミュージックシーンは「ポ」で決まりなんですが......

 

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