2008年8月16日

演出に関する見解の相違?

北京五輪の開会式を巡ってはいろいろと問題というか、「実は...」といった話が出てきますね。

 

花火の足跡がCGだったとか。でも、これは見る人が見れば、すぐにCGだとわかるような代物だったようで......

 

歌を歌っていた女の子が実は歌っていなかったとか。アテネでもありましたけど、今回の場合、舞台に立っていた子と実際に歌っていた子が全くの別人だったわけで......

 

少数民族の子供たちが、実はみんな漢民族の子供の変装だったとか。

 

 

これらについては演出担当責任者や中国当局はもちろん一切悪びれもせず演出の一つであると主張していて、「ああ、そうですか」と思います。

 

一方で、それを報道する日本のマスコミの論調は「こんなところにも嘘があった!」といったトーンばかりですね。

 

確かに、人間が自分の能力を限界まで出しきって競い合うスポーツの祭典(←オリンピックを平和の祭典と呼ぶのには、個人的に抵抗があります)である五輪では、当然のことながら開会式のずーっと前から、極論すれば北京に五輪が決定する(した?)時から、スポーツマンシップにふさわしいすがすがしさとかフェアプレイを期待しがちなのは、日本人の心情としては当然なのかもしれません。

 

そういう気持ちからすれば、演出とはいえ「嘘」は許されないと思うのでしょう。でも海外ではどういう報道がされているのでしょう? 「嘘」とまでは言わなくても、やはりオリンピック精神にもとる、という報道が多いのでしょうか? それともこういう反応は日本だけで、すばらしい演出だった、開会式だったという好意的な見方が多いのでしょうか?

 

そのあたりが知りたいものですが、新聞などを見ても出てませんよね。

 

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