2008年8月15日

いつまで......

終戦記念日です。

 

かつて「敗戦」と言わず「終戦」と呼んでいることを問題にしている新聞だったか週刊誌だったかの記事を読んだことがありますが、当時の人の意識としてはどうだったのでしょう? 「ああ、終わった」と思ったのか、それとも「負けてしまった」と思ったのか......

 

それはそうと、以前にも書きましたが、あたしの親類には太平洋戦争、日中戦争、それらをひっくるめた「アジア・太平洋戦争」で亡くなった人ってのがいません。父方、母方どちらを見回しても戦争に行った人もいなければ、戦争(空襲など)で亡くなった人もいないんです。

 

住んでいた地区、年齢、そういったいくつかの偶然が重なって生まれた幸運だと、素直に感謝しています。だからなのかもしれませんが、あの遺族会とかそういった人たちが、毎年のように揃って靖国神社へ参拝に行くのが異様な光景に感じます。

 

おじいちゃんが祀られているから、という素直な感情なのでしょうけど、ああやって世間や政治に圧力をかけるかのように集団でやられると、どうも胡散臭さが漂ってきて、どうもなじめないです。それでもごくごく一般の遺族の方の場合はまだいいのですが、国会議員の参拝はどうみても異様に感じてしまいます。なんでみんなで揃っていかないといけないのでしょう? そこが故人を偲ぶという感覚と、ものすごく不釣り合いな感覚を覚えます。

 

ところで戦後ももう60年以上がすぎました。戦争の記憶を風化させない、二度とあのような悲劇は繰り返さないというのはわかりますが、当時を生き延びた人にああだった、こうだったという話を語らせてばかりでは、いつまでたっても客観的な歴史にはならないと思います。

 

実際問題、まだ存命の方が大勢いらっしゃるわけですから歴史になるには早すぎるのかもしれませんが、そういう方々の断片的な記憶に頼っている限り、客観的で公正な歴史には成り得ないのだろうとも思います。

 

個人的には、いい加減、朝日新聞なんかがやっているような「戦争を語り継ぐ」みたいな企画はそろそろ卒業して、もっと歴史検証に比重を移していくべきではないかと思うのですが......。そして毎年夏の甲子園で終戦の日に、一時プレーを中断して黙祷するような滑稽な儀式も止めるべきだと思うのです。

 

ふつう家族が亡くなっても、33回忌かせいぜい五十回忌くらいまでしか法事だってやらないでしょう? なんで60年以上も経って延々続けているのかわかりません。

 

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