2008年4月13日

次は何をデザイン?

昨日は、ABCの本店で菊地信義さんのトークショーがあり、お手伝いと聞きに行ってきました。

 

ABCと言ってもABC Martじゃありませんよ。青山ブックセンター、です。最寄り駅は表参道なんですけど、帰りは渋谷まで歩っちゃいました。そんなに遠くないですからね。(ちなみに行きは、ちょっと会社へ寄ってからだったので、半蔵門線で神保町から表参道まで乗ってきました。)

 

菊地さんのお話は、実は前にも同じ場所で詩人の蜂飼耳さんとのトークイベントでも聞いていたのですが、今回は単独のトーク。でも、菊地さんにとって蜂飼さんとの出会いは衝撃だったようで、何度もその名前が登場しました。

 

そもそも菊地さんはブックデザインに入る前は大勢でやるようなデザインの仕事をしていたそうで、でもそれだと何々ディレクターとか、そんなのがいっぱいいて自分の思い通りの仕事ができないと考え、一人でできるブックデザインの仕事に変わったそうです。

 

そんなブックデザインの仕事も二十年から三十年やってきて、もうやり尽くした感があって、そろそろ引退してもいいかなと思っていた頃、蜂飼さんの文章に出会って、この人の本をデザインしたいと思える書き手を久々に見つけた、ということらしいです。

 

さてさて、ブックデザインって言うと、どの程度までやるのでしょうね。

 

一般には装幀(装丁)ですから、カバーと表紙(カバーを取り外した状態)、それに帯のデザインが基本です。それと本を開いて出てくる扉も表紙と同じ感じにデザインしてもらいますね。

 

でも時には、目次から本文まで、つまり中のレイアウトまでやってもらうこともあります。そもそもカバーと表紙と言ったって、それだけ切り離したら本としておかしなものであり、本当にこだわるデザイナーなら本文レイアウトにまで口を出したくなるのが人情ではないでしょうか?

 

まあ、文芸書の組み(レイアウト)なんて、文字数と行数、それにどんな書体を使うかだけ、と言ってしまっては語弊がありますが、逆にそれだけだからこそ、きちんとデザインされていることが大事なんじゃないかなあ、と思います。

 

ノンブル(ページ番号)の位置や書体、大きさだって本文を読んでいくのにかなり重要なアイテムではないでしょうか。それと目次。外国文学だと目次のない作品も多いのですが、目次が変なレイアウトだと読む気が起きないときってありますよね。

 

最近目につくのは、本文は縦組みなのに目次だけ横組みの本。あれは、すんごくイヤです。

 

 

さて、いろいろ、それこそ万を超える作品を装幀してきた菊地さんですが、あと5年くらいはやりたい、そこまでやればもうやり残したこともないだろうし体力も限界だろうから引退だな、と話されていましたが、個人的には本以外、ブックデザイン以外に、いま改めて挑みたいデザインってないのでしょうか?

 

世にデザイナーと呼ばれる人たちは、結構洋服だとかショップだとかいろんなもののデザインを一手に引き受けていたりしますよね。たぶんにやってもらう方が、そのデザイナーの知名度を利用している面もあるのでしょうけど、とにかくいろいろやってます。

 

菊地さんも本以外に何かやったりしないのか、そういう気持ちはないのか、昨日のトークではそこまでの言及はなかったですが、いつか聞いてみたいものです。

 

で、一番聞いてみたいこと、それは縁起でもないと言われそうですが、菊地さんだったら自分が死んだときの祭壇や骨壺、棺桶をどんな風にデザインするのだろう、ということです。

 

最近、お墓を個性豊かに作る人が増えています。でも日本の場合、家族(一族)で入る墓なので、実はあまり個人の好みを出すと家族が困る、という面があると思います。それに比べると骨壺や棺桶ってのは、まるっきりその人本人に属するものですから、デザイナーと呼ばれる人だったら、出来合いのものを使うなんて自分の矜持が許さないのではないでしょうか?

 

うん、デザイナーと呼ばれる人たちに、自分の骨壺と棺桶をデザインしてもらった図録なんか出版したら面白いかも......。

 

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