2008年1月21日

助さん、格さん?

先週は出かけていて見逃した水戸黄門、本日は堪能しました。

 

はい、でもって、水戸黄門に欠かせないキャラと言えば「助さんと格さん」です。

 

でもなんで、「助さん、格さん」であって「格さん、助さん」ではないのでしょう? などと、ふと疑問に思いました。ご隠居も「助さん、格さん」という順番で呼びかけますよね。あたしは特に拘りませんが、熱狂的な格さんファンがいたら、この数十年の間、ものすごいフラストレーションがたまっていたのではないでしょうか?たまには「格さん、助さん」でもいいじゃないか、と。

 

「さん」と除くと、「すけ」「かく」という発音、やはり「く」は口が締まるので次に繋がる感じがしない、という理由なのでしょうか? ちなみに役職的に助さんと格さんとで上下があるわけではないみたいです。

 

いちおうは、上のように音韻学的(音声学的?)に推量してみました。でも、自信も根拠もありません。

 

こういう言葉の順番で気になるのは「陰陽」なんです。これは大学生の頃からです。

 

中国では、なんでも陰と陽の二つに分けて考える、といった程度の知識は多くの日本人でも知っていると思います。なので「天地」「男女」「明暗」「前後」「清濁」など対になる概念の熟語の場合、そのほとんどが「陽」的なものを先に、「陰」的なものを後に並べるんです。(例外はもちろんありますが、主だったものはだいたいこの順番だと思われます。)

 

ところが、ところが、肝心要の「陰陽」は「陰」が先なんですよ。これが不思議なんです。

 

ある説として、中国語には声調という発音のトーンがあるのですが、その順番の前後によって並ぶのだ、というものがあります。確かに「陰陽」は声調の順番では「陰→陽」の順番で合っているわけで、上に挙げた単語(熟語)もその通りです。

 

でも、でもですね、古代中国においても最も大切な概念とも言える「陰陽」を、声調の順番だから、という理由だけで「陽陰」ではなく「陰陽」という順番で構成するでしょうか?

 

音声学とかを専門としている方なら上記の説明で納得してしまうのでしょうが、思想を専門としていた身からしますと、とても納得できない説明なんですよね。

 

助さん、格さんから、水戸黄門を堪能しつつ、こんなことを考えておりました。

 

まだ風邪が本復とは癒えないので、さあ、寝ますか。

 

夕飯は母親が作ってくれたお粥を食べたのですが、ちょっと食べるとやはりまだなんとなく吐き気がします。

 

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