2007年12月30日

あたしは犬派

『犬身』をようやく読み終わったわけなんですが、そもそも読んでみようと思ったのは、営業回りの途次、とある仲良しの書店員さんから勧められたからなんです。

ちなみに、勧めてくださったその書店員さんは女性で、いつぞやは『鉄塔武蔵野線』も勧めてくれました。

曰く、あたしがはまるタイプの小説だ、とのこと。

はまったかどうかはともかく、面白く読めましたね。やや長かったですけど、そんなに退屈はしませんでした。

で、書店員さんと最近読んだ本をの話をしていて、「で、犬になりたいと思った?」なんて聞かれましたけど、実際あたし動物になろうとか、なりたいっていう願望はありません。

犬になって大好きな人にかわいがられたいなんて、確かに人間である現状では四十過ぎまで独身を貫かざるを得なくなってしまいましたし、いっそ犬になった方がかわいがってくれる人も現われやすくなるのかしら、なんて思わなくもありません。

ただ、あたしの場合、猫か犬かと聞かれれば「犬です」と即答できるほど犬派ですけど、決して昨今のペットブームのように犬を飼いたいとは思いません。

今でこそ一軒家に住んでいますが、生まれた時から大学四年までずっとアパートや団地住まいだったので、小鳥くらいは飼えても犬などは飼うことはかないませんでしたから、犬を飼いたいという欲求はずっとありました。

でも、室内犬を飼うような気持ちは一度も持ったことはありません。犬はやはり大きくて、庭で飼うもの、という考えがあたしの中では支配的です。飼うとしたらセントバーナード、シェパード、コリーなどの中型か大型犬が希望なんです。家の中で飼うなんて、ましてや洋服を着せたり「○○○ちゃーん」なんて猫なで声で呼びかけるなんて、想像もできません。

なので、犬好きとはいえ、この小説に出てくるような小さな犬には、正直あまり魅力を感じないのです。主人公はどちらかというと華奢なタイプの女性の一人暮らしですから、秋田犬とかシェパードなど大型の犬を飼うなんて、小説的にも実際にもちょっと難しいでしょう。主人公の飼う犬、つまりもう一人の主人公が生まれ変わった(?)犬が室内犬なのはやむを得ないと思います。

犬が室内犬という設定であった時点で、既にあたしは感情移入できなくなっていましたが、読後、街を歩いていて散歩されている犬を見かけると、もしかしてこの犬も人間が変化して犬になったものではないかしら、などと思ってしまいます。しばらくは、そんな妄想から抜けられそうにありません。
 

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