2006年12月26日

『翻訳家の仕事』を読んだよ

岩波新書の『翻訳家の仕事』を読みました。
 
あたし自身は直接の面識のある方ってほとんどいないのですが、あたしの勤務先にに縁のある方が多いので楽しく読めました。ほぼ同じような職業の人のエッセイ集なので、乱暴な言い方を許してもらえるならば、同じような話ばかりになってしまい、途中からちょっと飽きが来てしまいました。
 
さて、この本に登場する三十数名の方、順番に肩書きを挙げてみます。
 

ラテンアメリカ文学、イギリス文学、ラテンアメリカ文学、英文学、英米文学、ロシア・ポーランド文学、ドイツ文学者、ロシア文学、中国文学、作家・翻訳家、アメリカ文学、日本古代文学、英語文学、フランス文学、フランス文学、アメリカ文学、歌人・作家、英米文学、西洋古典文学、イタリア文学、翻訳家、ラテンアメリカ文学、比較文学、アメリカ文学、イタリア文学、フランス文学、ドイツ文学、ドイツ文学、作家、作家、比較詩学、詩人、フランス文学、作家・翻訳家、英語文学、翻訳家、フランス文学
 
これが『図書』に連載された全てをまとめたものなのか、それとも連載は五十数名登場していたけれどテーマを絞ってこの三十数名にしたのか、あたしは知りません。まえがきを読むと、どうも前者らしいですが。
 
で、これを見て気づく、というか思ったのですが、やっぱり「翻訳」っていうのは欧米偏重なんだな、ということです。ラテンアメリカやロシアもそれなりにいますが、これも広く考えれば欧米圏ですよね。あたしが言いたいのは、例えばアジアをやっている人がもう少し加わっていてもいいんじゃないかということです。
 
別にあたしが専門にしている<中国>が一人だけじゃないと言いたいのではありません。中国の場合は、長い漢文の伝統がありますので、もうこれは日本文化の一部になっていて、あえて翻訳という範疇に括るまでもないという感覚が日本人のどこかにあるのではないかと思います。
 
もちろん、中国文学だって、古典・現代を問わず、それを翻訳して日本へ紹介している翻訳家の方はたくさんいますけど、論語とか三国志になると、これはもう日本文化の一部でしょ、という感じがするのも日本人の実感ではないでしょうか? どんなにイギリスやフランスの作家、作品が日本で人気を博しても、中国文化の浸透度に比べたら月とスッポンだと思うのです。
 
世間では今ちょっとした新訳ブームで、同じ作品を異なった翻訳で味わえるっていうことで、それなりに本も売れていますが、『論語』や『水滸伝』などいったい何種類の翻訳、翻案が出ているでしょう。たぶん一番多種の翻訳が出ている欧米の作品だって、その足元にも及ばないんじゃないでしょうか?
 
おっと、ちょっと中国のことについて熱く語りすぎました。あたしが言いたいのはそうではありません。中国ではなくて、例えば朝鮮・韓国とか東南アジア、インド、中近東など、独自の文化と伝統を持った地域の作品と取り組んでいる翻訳家の方をもっと取り上げてもいいんじゃないかということです。
 
確かに、本書の中でドイツ文学の翻訳をされている方が、ドイツ文学は人気がなくて翻訳を出版してくれる出版社がないと嘆いていましたけど、上に挙げたような地域の翻訳なんていったら、出してくれる出版社はもっと少ないでしょうね。
 
そうなると翻訳家の数も少なくなっちゃいますし、こういう連載の時に登場する人の数も少なくなるわけで、上記リストの内訳というのは、あんがい日本の翻訳界の実情を正確に反映しているのかもしれません。
 
 
最後にちょっと訂正。上で「出してくれる出版社」という書き方をしました。これはよくよく考えてみると不遜な言い方ではないかと思うのです。出版社って「出してやる」なんて言えるほど偉い存在なんでしょうか、と自戒を込めて思います。
 

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