都電
昨日は、昔住んでいた家の近所にあった「やきとん」のお店について書きましたが、それで思い出しました。
昔住んでいたアパートは、巣鴨と書きましたが、現在の場所で言えば、都営三田線の西巣鴨駅から歩いてちょっとのところです。かの有名な地蔵通り沿いにありましたが、いわゆる縁日などが行なわれる巣鴨駅や高岩寺の近くではなく、大正大学に近いところにあり、ちょっと歩けば明治通りに出てしまうような場所でした。(このアパート、今も当時のまんま、あるんです!)
なんでこんな場所に住んでたのと言われても、幼いあたしにはわかりませんが、その理由の一つとして父の通勤に便利だからというのを聞いたことがあります。
父は西巣鴨駅から三田線で通っていました。父の会社は日本橋(日本橋交差点のすぐ近く)にあり、三田線で大手町まで行って東西線にでも乗り換えていたのでしょうか? あるいは大手町から健康のために歩いていたかもしれませんが、あの父がそんなことをするとは思えないので、たぶん東西線に乗り換えていたのでしょう。
それはそうと、そんなことをなにかの折に父に聞いたとき、父は都電で一本で行けるからと言いました。あたしが物心ついたとき、既に都電は荒川線しかなく、「え、なんのこと?」という感じでしたが、父の話では三田線が開通する前は白山通りに都電が走っていて、それに乗れば日本橋まで行けたそうです。
そんなことを思い出したので、当時の都電の路線図か何かネットにないだろうかと捜してみましたが、ちょっと見当たりませんでした。探し方が悪いのかもしれません。ただ、都電の本っていうのは何冊か出ていたと思うので、そこには付録として載っているんじゃないかと期待しております。
だいたい六十代以上の人で若い頃東京にいた人の話を聞くと、今の地下鉄よろしく、当時はかなり縦横に都電が走っていたことがわかります。昔の銀座の映像を見てもよく写っていますよね。
あたしの場合、どうしても幼少の頃の荒川線しか思い浮かびませんし、あとは路面電車ではなく北京や上海のトロリーバスに連想が遷っていってしまいます(汗)。
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