墓参り
今日は父の命日です。ちょうど10年が経ちました。
10年前の今日、それは月曜日でした。入院中の父の具合はだんだん衰弱に向かっていたものの、なにせまだ60歳ですから、そんなすぐに逝ってしまうなんて思っていませんでした。
その少し前に具合が悪くなった時に、点滴を打ってもらったら非常に元気になったことがあったので、そうすればまた元気になるだろうと高をくくっていた面もありました。
ただ、入院後の検査で、癌の可能性があると医者には言われていました。もう少しきちんと検査しないと断定はできないが、いくつかの数値がその可能性をかなり高い割合で示唆していると言われました。
詳しい検査をすぐにやれればよいのですが、その時点で父はかなり衰弱していて、とても検査を受けるだけの体力があるようには見えず、医者ももう少し 様子を見て、体力が回復してきたら検査をしましょうということになっていたのですが、それを待ちきれずに逝ってしまったわけです。
朝、いつも通りに出勤し、9時を回ってボツボツ他の社員が出勤してきたころ(←出版社の編集部って、10時、11時にならないと全員揃わない!)、 母から電話があり、父が危篤状態になったからこれから病院に行くので、あたしにもすぐに帰宅して病院へ来い、というものでした。
すぐに帰り、大雨の中、車で病院に向かいましたが、既に父は事切れていました。母が病院に着いた時、既に呼吸停止状態で、最後の悪あがきよろしく酸素吸引をしていたところだったそうです。
じきに妹が到着し、母と妹の見守る中、すべての処置を諦めて、ご臨終ということになったそうです。その後しばらくして、あたしが病院に着いたのでした。
そう、あれからもう十年も経つんですねえ。
その時点でパスポートも持ってなくて、海外に行ったことはおろか、飛行機に乗ったこともなかった母が、会社の旅行で香港へ連れて行ってやったのを皮切りに、中国へ既に5回も行っています。北海道へも数回行ってますので、飛行機にはだいぶ慣れたようです。
女って強い、としみじみ思います。これが逆だったら、遺された夫は数年と持たず、亡き妻の後を追うように死んでいってしまうことでしょう。もちろん例外も多数あるでしょうが、少なくとも、あたしが自分の両親を見ている限り、このことは確実に言えます。
しかし、あたしが中国学を専攻したからってわけじゃないでしょうけど、父が亡くなった今日、9月9日は毛沢東が死んだ日でもあるのです。父の命日は自分の母親(つまりあたしの祖母)と同じ日で、これもなにやら因縁めいていますが......。
ところで、最近は男女とも元気なお年寄りが多く、あたしの勤務先でも、両親や祖父母がまだ元気だという人はたくさんいるようです。
でも、あたしの場合、普通なら四人いる祖父母が、あたしが生まれた時点で母方の祖母一人しかいませんでした。父は母親と、母は父親とそれぞれ幼少の頃に死に別れているので仕方ありませんが、祖父母に縁の薄いあたしです。
その唯一の祖母は、父が亡くなった10日後に亡くなりました。祖母は約10年、病院で寝たきりでしたが、時々お見舞いに行く程度で、行ってもあたしはおろか、実の娘である母のことも認識できない状態が、後半の七、八年でした。
思い出してみますと、その頃って毎年のように親戚や知り合いの人が亡くなって、しょっちゅう葬式や法事があった覚えがあります。最近はそういうこともないので、平和な時を過ごしています。
そんなわけで、今日は母と妹と三人で墓参りに行きました。秋のお彼岸の時期では流石にお寺も混みますし、今日はちょうど命日に重なっていますので、ちょうどいいでしょう。
うちのお墓は霊園ではありません。東京の都心、神宮球場のある外苑前駅から歩いて15分くらいのところにあるお寺です。江戸時代から続く、それなりに由緒あるお寺のようですが、本堂などだいぶ古くなってきていますね。
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